人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

わたしのまわりの人の話

わたしはメンヘラをほぼオープンにして日々を生きている。そうしないと生きていけないから。

 

大学に入ってから、まわりの人が次々とメンタルの調子を崩すようになった。

自殺未遂をしたひとも数人いて、本当にたくさんの調子を崩した人を見てきた。

 

それをずっと見てきて、わたしはこの考えに辿り着いた。

 

「わたしのせいなのではないか?」

「わたしがいるから、呪いのように周りにも伝染してしまうのではないか?」

 

最近はもっと進化して、

 

「わたしがこんなにオープンにメンヘラをやっているから、周りにも暗い雰囲気が、気持ちが伝染して、畢竟まわりの調子も崩してしまうのではないか」

 

という考えに至った。

それを思いついてしまったら、非科学的だとわかっていてもメンヘラさんのツイートを見るたびいつもこう考えてしまう。

 

自分の生き方を変えるつもりはないし変えられるとも思わないんだけれども、周りに影響をもし与えてしまっていたら本当に申し訳ないと思う。死んでしまいたくなる日もある。薬を多めに飲まないとやってられない日も。

 

ちゃんと考えがポジティブになれるタイミングでは、そんなことはない、自分のせいではないと思えるのだけれど。

こればかりは、性格なのか、病気のせいなのか、止められない思考回路。

 

もう寝て忘れてしまおう。また明日。

福岡のアイドルちゃんに会ってきた話

6月22日正午。わたしは博多行きの新幹線こだまの中にいた。福岡のアイドル、ギルドールちゃんの一員、天音らむさんの生誕祭に行くために。

 

話は5月に遡る。

あるフォロワーさんがギルドールちゃんのヲタクであることは知っていた。

あるツイキャスで、そのフォロワーさんとコラボをさせていただいたときにたくさんの画像を見せてもらって、また、一緒に遊んだときにたくさん魅力を聞かせてもらって、この天音らむさんという方(以下らむりんさん)かわいいな?と思うようになった。画像載せときますね。
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Twitterをフォローして、よく見るようになった。たまにらむりんさんはツイキャスもされるので、そこに顔も出してコメントもするようになった。どんどん魅力がわかってきて、声も聞いて、動画も見て、のめり込むようにハマっていった。

そこからは早かった。はじめての生誕祭が行われることを知って、即新幹線とホテルを取り、6月23日の生誕祭に行くことを決めた。

それまでの1ヶ月間、わくわくで夜しか眠れなかった。

 

からの、冒頭である。

6月22日、生誕祭前日。

福岡に降り立ったわたしは、少し天神をぶらぶらしたあと適当な居酒屋に入り初のひとり居酒屋をキメて、お風呂に入ってはやばやと寝た。

 

そして迎えた6月23日、当日。朝早く目が覚めて、ホテルで朝ごはんを食べて、気合いを入れてメイクをして髪を巻いた。らむりんさんのメンバーカラーが紫なので、アイシャドウも紫、アイラインも紫、ネックレスもピアスも紫。全身らむりんさん。

12時開始の第一部に間に合うように地下鉄に1駅だけ乗って天神まで行った。

生誕祭が行われるカフェ&バー、福岡ギルドはビルの7階にあって、少し迷ったけれど無事に着くことができた。

まず迎えてくれたのはマネージャーさんと、らむりんさんの相棒であるギルドールのあいちゅんさん。しおぎです、と名乗る前にわかってくださって感動した。Tシャツを手渡してくれた。

店内に入って出迎えてくれたらむりんさんは、わたしと同じくらいの背の高さで、動画や画像で見るよりもさらにかわいくて、何よりわたしを大歓迎してくれて涙目にまでなってて、わたしもつられて泣きそうになった。座って待っているときもわたしのところにちょいちょい来てかまってくれて、なんて優しい子なんだ…と思った。

 

始まった第一部。ギルドールオリジナル曲がほとんどで知らない曲もあったけど、知ってる曲は全力でコールした。Be Happyとかね。声が小さいから聞こえなかったと思うけど。Future diverめっちゃかわいかった。目の前で推しが歌って踊っていることにひたすら感動していた。

終わったあとは、チェキ会?的なものであった。何しろはじめてなのでわたわたしていたら、ヲタクさんのひとりがわたしにチェキ券をくださった。せっかく来てくれたから、と。とてもありがたかったし感無量だった。ありがたく受け取った券で、バルーンスタンドの前でチェキを撮って、それから2分間のチェキにらむりんさん自ら落書きしてくれる列に並んだ。2分間とかやばいよなおい。そこでもめちゃくちゃ歓迎してくれて会えて嬉しいって言ってくれて、あーもう死んでもいいな(昇天)となった。

 

第二部まで1時間ほど時間があった。プレゼントをホテルに忘れてきたので取りに帰った。途中でジェラートを食べた。ピスタチオ。うま。

 

買ったTシャツを着て、第二部に臨んだ。一部はみんな制服だったけれど、二部はみんなTシャツだった。わたしもおそろい。

第二部は最前で見させてもらった。キャストさん(ギルドールちゃん以外の、ギルドで働いている子たち)のステージもあった。もみじさんという子のパフォーマンスがすごく素敵で、うん、素敵だった(語彙力)。あとでちゃっかりチェキも撮ってもらったりした。

何曲かあって、らむりんさんのお色直しの繋ぎのトークがあって。わたしもらむりんさんのお話をさせていただいたりした。

そして、再登場したらむりんさん、の、美しいこと。なんと美しいこと。とっっってもキラキラしていた。ほんとーーーに、輝いていた。結婚式前の新郎の気持ちはこんな感じかあ、と思った。色んな人からのプレゼントのあとの、夜明けbrand new days。泣きっぱなしだった気がする。ひたすらに、ただひたすらにエモかった。綺麗で、絶佳で、格好よくて。

集合写真を撮って、集合動画も撮って、またチェキを撮って、サインとかしてもらって、生誕祭は無事終わった。

とっても、とっても良いステージだった。

 

大盛況のままバータイムが始まった。わたしは隅っこの席でちまちまとカクテルを飲むことにした。んだけど、らむりんさんやいろんなキャストさんがわたしのところに来てくれて、いっぱい話してくれて、らむりんさんはいっぱいハグしてくれて。バータイムにこんなに接触が多いと思わなかったからびっくりした。

らむりんさんにプレゼントとお手紙を渡した。休足時間と、ロクシタンのギフトセットと、新大阪で買ったご当地ペン。その場で開けてくれて、喜んでくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。

いろんな人がキャストさんとカラオケをしていて、わたしも記念に1曲だけ歌いたくなった。らむりんさんとonly my railgunを歌った。自己満だし、してみたハモリも下手くそだったし、パート分けも失敗しちゃったけどとっても楽しかった。アイドルちゃんと一緒に歌えるなんて思いもしなかったから、本当に楽しかった。目を合わせて歌えたことの嬉しさ。頬にちゅーしてくれたこと。すべてが一生の宝物になった。

0時をまわる少し前に帰ることにした。らむりんさんがわざわざ店の外まで出てきてくれて、見送ってくれた。長い時間別れを惜しんだ。忘れないからねって、見つけてくれてありがとうって、何回も何回も言ってくれた。ブログも読んでくれていて、一緒に生きようねって言ってくれた。たくさんちゅーをもらった。わたしのために泣いてくれた。わたしも泣いた。

エレベーターの中で、寂しさがこみ上げてきて、さらにひとりで泣いた。

 

アイドルの時間は、限られている。いついなくなってしまうかわからない。

半ば衝動的に決めた福岡遠征だったけれど、後悔は1ミリたりともしていない。推しは推せるうちに推す。それがいちばんで後悔のないことだと、わかっているから。また必ず福岡に行く。いつになるかはわからないけど、らむりんさんがアイドルをしているあいだに。

 

1ヲタクとして天音らむさんへ。

この世に誕生してくれてありがとう。アイドルをやっている限り、いや、もしアイドルじゃなくなったとしても、ずっとずっと応援しています。生きていこうねって言ってくれたこと、絶対にずっと忘れないです。ありがとう。また会いに行くね。


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死なない理由の話

最近調子がいい。(当社比ではある)

それは死なない、死ねない理由がいつの間にかたくさんできたからだと思う。親がどうとかそういうネガティブなものではなく、ちゃんとした(?)理由。こころの拠り所がたくさんできて、安定して立つことができるようになってきた。とても喜ばしいことだと思う。

 

具体例として、いくつか。

 

まずは、パートナーとうまくいっていること。まだ1ヶ月だし遠距離だけれど、お家も訪問させていただいたしお互い必要とできている。ありがたいことだなと思う。

 

第二に、応援する人がたくさんできたこと。ヴォーカルユニットのCYNHNちゃん。それから福岡の天音らむさん。ハロプロの子たち。他にもたくさんのアイドルちゃんたち。YouTuberのPARASTICA。あとは、仲良くなった、また以前から仲の良いフォロワーさんたち。キャスに来てくれる人たち。ほんとうに生きる理由になっている。

 

それから、仕事が軌道に乗り始めたこと。デザインの道を選んで、フリーで活動をはじめて数ヶ月。コンペにひとつ受かって、伝手でひとつ仕事をいただいて。これからやっていけるかもしれないと思えてきた。

 

最後に、部活の面々から必要とされていること。後輩・同期と話して色々任せてもらえたり相談してくれたり、チラシやポスターの作成を引き受けたり、写譜を引き受けたり。わたしはもうお役御免だと思っていたから、とっても嬉しい。ありがとう。

 

まだ、死にたい夜はある。それでも生きていることを選択しているのは、これらの居場所があるからだと思う。

Twitterだけじゃなくて、リアルでもたくさんの人とかかわりを持って、たくさんの絆を感じて、いろんな人に会って、いろんな話をして。それが楽しいと思えるから。

まだ、生きててよかったと思えるときは少ないけれど。でも。

周りの人のために、わたしはこれからも生きようと思えている。心強いひとたちばかりだ。人に恵まれている。すごく助かっている。救われている。ありがとう。これからもどうか、わたしの生きる理由であってくれたら。

恋愛面で環境が変わった話

少し前、氏こと(元)彼氏さまと別れた。

2年2ヶ月であった。まあ長いこと付き合えたもんだ。

幹部時代はお互いなくてはならない存在だった。お互いがお互いに依存していたと思う。幹部が終わり半年が経ち仕事量も格段に減って、それでも幹部時代のウェイトのまま互いに依存しあっていた、ふりをしていた。それが相手にとって重荷になっているともわからず。

そして、話し合いをした結果、友達に戻るのがいまの自分たちには最適解であると結論が出た。

それからは早かった。するっと別れた。

今では親友である。何でも話せる親友。とても円満な関係を築いている。向こうも幸せそうでよかった。わたしのようなメンヘラと付き合っていた時点で不幸だったようなものだからなぁ。

 

そして、数週間後のいま、また新しい人ができた。これまたすごくいい人である。まあわたしの周りには友人含めいい人しかいなくて逆にすごいと思うけど。

数週間で乗りかえるなんて尻軽だなと思われるかもしれんがなんでも構わん。わたしの人生だからわたしの思うようにやる。

いまわたしは恋愛面では幸せである。それでいいと思う。

アイドルに救われた話

アイドルという人類が世の中に増えてきた気がする。わたしが追いかけているアイドルも大別して5、6グループにもなった。

そんなアイドルに、生かされた話をしよう。

 

CYNHNというグループ名の女性アイドル(正確にはヴォーカルユニット)がいる。CYNHNと書いてすうぃーにーと読む。6人組で、みんな歌が死ぬほど上手でダンスも表現もクソうまい。

それぞれソロ曲もあるけれど、真髄は全員の合唱にあると思う。みんな歌声がまったく違うのに、6人になるととんでもないパワーを放つのだ。

百聞は一見に如かずだから、もしよければ聴いてみてほしい。

https://youtu.be/21VduO3ci9o

はりぼて

はりぼて

  • CYNHN
  • J-Pop
  • ¥250

 

さて、ここで自分の話を挟んでみよう。

わたしは死ぬ日というのを今年の2月21日に決めていた。日にちの理由は諸々あるが割愛する。

それを決めたのは自殺未遂をした7月から1、2ヶ月後のころ。人生に絶望したというよりは、呆然としたといったほうが正しいかもしれない。よくならない精神状態、薬に頼り切る日々、しんどすぎる部活、何も先の見えない状況、惰性で見るTwitter

死ぬことが逆説的に生きる希望であった。この日に死ねると考えることで、日々を頑張って生きられた。

このことはほとんど誰にも話さずにいた。絶対に決行しようと思っていた。

 

けれど。

ここで出てくるのが前述のCYNHNちゃんである。

ずっと見てはいたのだけれど、12月に初めて大阪に来ると知った。

見に行ってみようと思った。見に行くからには、きちんとお洒落をして出かけたいと思った。折しも髪をブリーチしたところだったから、ロリータ服がよく映えた。

 

なんばOCATからタワレコ心斎橋でおこなわれたリリースイベントは、わたしに衝撃を与えた。

初めてこんなに間近で、推しのパフォーマンスを見た。喋り声が可愛い子、細すぎるほど細い足で力強いダンスをしている子、メンバーみんなをヘアメイクしたりして可愛くするのに長けている子、直接喋るととっても優しい子、顔面のかわいさが強すぎる子、喋りが可愛すぎてネットとのギャップがすごい子。

涙が出た。かっこよかった。かわいかった。迫力のあるパフォーマンスだった。

握手会にも2ショットチェキにも参加した。顔の小ささに仰天した。

また行こう。そう思えた。

そのためには生きなければいけない。シングルが出るたびに写真を撮りたい。歌を聴きたい。

わたしは、また死ぬのをやめた。

 

きっと、人生はこれの繰り返しなのだろう。

死にたいと思っては、モチベーションを見つけ死ぬのをやめて、また死にたくなって、死ぬのをやめて。

わたしは推しに生かされている。少なくとも今は。

久しぶり

親に頼まれて『カササギ殺人事件』を購入した。

めちゃめちゃ面白そうで、親に渡す前に一度読んでみようと思ったけれど、1ページめで集中力と気力がもたなくなってやめてしまった。

漫画1冊がいまの限界だ。図書館戦争もテーマが重いので漫画でもかなり疲弊する。疲れる。しんどい。

生殺しにあっている気分だ。目の前に面白い作品があるのに読むことができない。

わたしがふつうに本を読めるようになるには何日かかるんだろう。

助けてくれ。

死ぬのをやめた話

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

――夏目漱石草枕

 

わたしは、2月の半ばまでには死のうと思っていた。決めていた。決心していた。

その理由は下記にあるんだけど、だから載せるんだけど、でも、やめた。

後輩が絶対に来年の定演に出てくださいね、練習に参加することを約束してくださいねってわたしに言った。それだけ。たったそれだけだけど、わたしは死ぬのをやめた。

用意していた遺書がこれです。わたしのしんどさの理由。

 

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ひと足先にさようならです。

人間世界はいろいろな思惑に溢れていて、わたしには重すぎました。自分ひとりの人生も重すぎてひとりじゃ持ちきれないようなわたしが、人間の世で安穏と生きていくことは許されないのでした。ちゃんちゃん。

みんなが遠くへ行ってしまうことが寂しくて仕方がないのです。ここ(http://mmktkaij.hatenablog.com/entry/2017/11/05/105233)に書いたように、自分が変わっていないのに周りが変わっていくから、わたしだけが変わっていないから、わたしがどんどん置いていかれているように感じるのです。だからわたしも、どこか遠くへ行きたい。遠くへ。遠くへ。何も気にしなくてもいい、夢幻の場所へ。
わたしに死なないでほしいと思う気持ちは痛いほど感じます。わたしは思っているよりみんなに愛されていたようです。もちろん嫌いな人もいるでしょう。しかし、みんなが思っているよりわたしがいちばんわたしのことが嫌いです。反吐が出るほど嫌いです。そして、愛されれば愛されるほど、消えたくなってしまうのです。大事にされればされるほど、自分は分不相応で、愛されるような人間ではないことが身にしみてわかるのです。

 

――お願いだから消えさせてください。

わたしの身体はもうきっとボロボロです。咳止めの中には麻薬成分が入っていて、それは界隈ではまあまあ有名な話なのだけど、定演までは数日に1回はそれを1回に20錠とか飲んで生き延びていた。飲まないとやっていられないくらいには、人間界がしんどくなっていた。そして、麻薬には依存性がある。もうやめられないことがわかっていた。

まあ、だからってだけじゃない。死ぬことは既に、前回の自殺未遂より前には決めていた。いつ死のうかな、と考えながら生きていた、そんなふうには見えなかったかもしれないけど。

――だって、もうわたし頑張ったよ。頑張って生きたよ。性格の合わない親のもとで優等生として18年間過ごして、公立大に合格して、休学したけどそれは部活のためで、その部活の幹部も完遂した。お金も惜しみなく使ったし、自分で言うのもなんだけど広報をめちゃくちゃ頑張ったんだよ。ちゃんと引継ぎもしたよ。伝えたいこと全部引継ぎ資料に詰め込んで、もう伝え残したことないよ。

わたしは周りから見れば頭がいいのにサボり魔な悪い子だったかもしれないけど、地頭がいいのだっていいことばかりじゃなかったよ。サボらないと生きていけないくらい息が詰まって仕方がなかった。わたしにはまわりの優等生が、努力できている子たちがものすごく優れて見えた。実はわたしなんて大した存在じゃなかった、その思いを突きつけられるくらいに。

それでも、部活だけはやりたいと思った。高校の部活もなんにも貢献はできなかったけど必死で頑張った。大学も、先輩に釣られて入った部活、だけど入ったからにはちゃんとやり遂げようと思った。そして、5年に1回の大役がわたしたちの代に当たって、これはピンチでありチャンスだと思った。死のような重圧と引き換えに、わたしが何者かである証拠を残せるものだと。

必死で、本当に必死で頑張った。必死ってことば、死ぬまであるわ。マジで。

わたしの得意なことは何か、できることは何なのか、精一杯考えた。それで、高校のときの知識と、それから積み上げてきた少しのPCスキルを使えることに気がついた。高校のとき身につけた音楽知識となけなしの度胸を使って合奏に貢献できるようになった。PCスキル、それからネットスキルを使ってTwitterやサイト運営、周りとの情報交換、広告作りができるんじゃないかと思った。そして、それらすべてを実行した。楽しかった。

楽しかったけど、死ぬほどきつかった。もともと起立性調節障害や低血圧持ちで体力のないわたしははじめからあまり頑丈なほうではなくて、うつも併発してからはもっと脆弱になっていたから。

でも、わたしがやりたいと思ったから。これができるなら死んでも構わないと思ったから、やった。

こんなに頑張ったのに、まだわたしに頑張れって言うの? そんなの、そんなの意地悪すぎない? 酷すぎない? ならやるなって? やりたいことを書き出したブログを見てよ。太く短く生きたいって書いてあるでしょう。こういうことなんだよ。

生きてっていうなら、わたしの病気を治してよ。体じゅうにある精神にもある傷跡を、ぜんぶぜんぶ容認してよ。生きる場所を与えてよ。働く場所を与えてよ。もうそんなものも、そんなことする気も、ないくせに。あるのかもしれない、ある人もいることをわたしは知っている。けれど、自分で探させられることになりそうで、わがままだけど、わたしはもう努力のための努力なんてしたくない。頑張りたくない。楽になりたい。お願いシンデレラ。夢は夢で終われないんでしょ。現実に、わたしを地獄へ連れて行ってよ。天国になんか行けないことは知っている。そんないい子ちゃんじゃなかった。地獄でいい。現世が地獄みたいなものだったから慣れている。

とても長くなってしまったけれど、これがわたしの気持ちです。生きる人はえらい。それは断言できる。自分勝手だけど、わたしは無理だった。それだけ。

後追いとかはできればしないでほしい。わたしが影響を与えられる人がいたことが死後にわかるなんて、悲しすぎるから。

ネットの人への、そしてわたしの自伝的な遺書でした。わたしに今まで居場所を与えてくれたみなさん、本当にありがとう。そして、さようなら。

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死にません。まだ。まだ死なない。生きてやる。