人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

音楽を聴くのが苦手になった話

音楽系サークルに入っといていきなりなんやねんという話ですが。

 

うつになってから、音楽を積極的にあまり聴かなくなった。人が音楽を聴いているのを横で見ていてもつらくなってくることがある。

物心ついたころから歌、音楽に親しんできたわたしにとって、それは我ながら衝撃的なことだった。今まで吹奏楽部でみんながつらいつらいと言いながら曲を吹いていても、自分は演奏は楽しいのになあと思いながら(技術や表現がうまくいかないことや人間関係がつらかった)過ごしていたのに。

わたしがなぜそうなってしまったか今まで自分でもわからなかったのだけれど、思い当たることがいろいろ出てきたのでつらつらと書いてみよう、と思う。

 

  • 中高の部活時代でのつらい記憶がよみがえる。

これは主に吹奏楽を聴いていて。今までやった課題曲とかフルート曲とかそういうのを聴くとつらくなっていた。今はあまりないかも。克服できつつある。

 

  • 自分がもうあそこにいないのだという空虚感。

これも吹奏楽。自分が引退したあとの課題曲やら、後代のコンクールの動画やらを見るのがしんどい。わたしはもうあそこに座ってフルートを吹けないのだという虚無感。

 

  • 大きな音が以前にも増して苦手になった。

感覚過敏ぎみになって、うるさい音が頭に響くようになった。でもこれは音楽に限らない。というか音楽なら多少うるさくても我慢できるが人の話し声とかだとかなりくらくらする。

 

  • プラスの感情の振れがマイナスに直結する。

考えていて、これがいちばん大きいのかなあと思った。音楽を聴いて感動して、その昂ぶった波がそのまま落ちていく。感動の涙だったはずなのに、鬱のドツボにはまりこんで泣いてしまう。アーティストの歌だと、普段なら気にしないSNSに書かれたそのアーティストの悪口にひどく傷ついてしまう。つらい。

 

こんなかんじ。

でももうひとつ気がついたのが、

「自分が参加していれば落ち込まない」

ということ。クラブなら合奏に参加する。カラオケに行って歌う。自分が表現する側に回ればこのつらさは回避できる。そういうこと。

だからたぶんわたしは今も音楽をやっていて、これから先もどんな形であれ音楽をやり続ける。

そうでないとしんどいから。そうでないとわたしの生気は音楽に吸い取られに吸い取られてしまうから。

なんて消極的な理由なんだろう。

でもこれがわたしのひとつの真実なのだ。

代替わりをした話

うちのクラブの定期演奏会が終わり、代替わりをした。

わたしたちの代が幹部となる。このあいだ大学に入った気がするのに、時の流れというものは早い。

先輩の期待は重くのしかかり、自分への自信のなさはますます自分を追い詰める。うつを免罪符にするつもりなんてさらさらないけれど、どうなるのか、どうなってしまうのかはなはだ不安である。わたしは幹部代を生き残れるのだろうか。

もちろん楽しいこともたくさんある。楽器を習うことになってもっと高みを目指せる。合奏に自分の好きなように口を出せる。たくさんの楽しい演奏ができる。好きなように宣伝ができる。

けれど、やっぱりこれからの運営側に立つ1年を思うたび心臓が握り潰されそうになる。助けてくれと、もういやだと、叫びだしたくなる。

わたしはクラブを運営したいわけではない。ただ楽しく楽器を弾いていたい。広報になったのも気楽に宣伝ができると思ったからだ。

でも、運営に関わらないわけにもいかないのだ。自分が楽しいだけじゃ、駄目なのだ。わたしたちの努力のもとで後輩たちの「楽しい」がある。なければならない。わたしたちは部の存続のために必死にならなければならない。

腹は決まっているつもりだけれど、まだまだやれることはある。もう一度覚悟をしなければならないのだろう。

はじめて救急車で運ばれた話

11月19日。

その日はクラブの定演リハの日だった。

午前中に通しリハを終えて、パートでごはんに行って、合奏場に帰ると1時。そこからパート練習をして手直しの合奏3時間。考えてみればまあまあハードだった。

2時半ごろ、手直し合奏の1回目の途中から手が震え出した。2回目はとりあえず休もうと合奏場の後ろでうずくまって耐えた。

2回目が終わる頃には体に力が入らず、声もほとんど出なくなっていた。同期が2度ほど声をかけてくれたが、蚊の鳴くような声しか出ずコミュニケーションを諦めた。

1日のスケジュールが終わっても屍と化していた。夕方やっと少しずつ体が動くようになってきて、起き上がり、水と薬を飲み、あたりを見回す、というそれぞれの行為を10分くらいずつかけて行った。

帰らなければ、と思った。早く帰れとその場のすべての人から言われているような気がした。側にあった荷物を掴んで合奏場を出た。

楽器置き場に行くより楽器を持って帰ったほうが消費エネルギーが少ないと咄嗟に思った。楽器置き場に向かう道に人がたくさんいたこともそう思った理由のひとつだった。約700m歩けば家なので、行けないはずはなかった。

だが、大学をちょうど横切るかたちになる道筋の3分の1ほどで、体力と気力が同時に限界を知らせた。もしかするとどちらかが先に尽きていて、残りのほうでなんとかもっていたのかもしれない。

楽器と荷物を置いて、地面に座って、同期であるパートナーにLINEで助けを求めた。既に泣いていた。体の中で鳴らされる警鐘と情けなさと不安でパニックになっていた。

パートナーが駆けつけてくれるまでの10分ほどが死ぬほど長く感じた。手足が氷よりも冷たいのではないかと思うほど冷えていった。矛盾するようだがもう誰でもいいから助けてくれ、楽にしてくれ、という気持ちだった。

自転車で彼が来てくれたとわかった瞬間に最後の砦が瓦解した。謝りながら泣きついたような気がする。

そこから先はあまり覚えていない。過呼吸を起こして泣きじゃくって謝り続けて、最終的に救急車を呼ばれた。誰か他の人も来ていたようだけれど誰かはわからなかった。

救急車の中ではずっと天井を見ていた。青い布か袋みたいなものが天井棚に置いてあった。なんとなく脈を測られているなあと感じていた。

病院に運ばれる頃には落ち着いていたけれど、念のためとベッドに寝かされて楽になったら出てこいと言われた。パートナーが来てくれた。良かったと泣いてくれた。申し訳ないと感じた。先輩も来てくださった。

タクシーで帰ることになった。お金を払った。痛い出費だった。先輩が慰めてくださった。聞けば、自転車で学校から遠い駅まで行き、そこから病院最寄りまで電車で来てそこから徒歩で病院までいらしたらしい。なんとまあ恵まれた人間関係を持ったものだと思う。

帰った。すぐ寝てしまった。パートナーが朝まで一緒にいてくれた。

後日、自転車で計算し直された医療費を払い戻されに行くのと母親から電話がかかってきたのが面倒臭かったので、今度もし救急車を呼ばれることがあろうとも病院まで連れて行ってもらうのはやめようと思った。おしまい。

まあ救急車なんかお世話にならないほうがもちろんいいんだけど。過呼吸の起こしかたが高校時代を思い起こさせて個人的にはつらいものがあった。というか家の中で起こしたとはいえここまで酷くてもほっといた母っていったい。

ともあれ、無事に運ばれて(?)無事に戻ってきました。ご報告。おしまい。

 

ちなみにこれを書いているこの時期はもう定演は終わっていて別のことに精一杯だったりする。またそのことについても書こうかな。それではそんな感じで。

らいねんのわたしへ

1年後の秋頃のわたしへ。

 

今日わたしはあまりの体調不良に内科に行ってきました。大学生活2年目にして2回目です。しかも同じ時期です。

 

甲状腺の病気の可能性を排除するために採血されました。以前採血でひっくり返ったことがある(医者の言葉そのまんま)ので寝て採血されました。でもたぶん異常はないです。ただの自律神経の失調です。

 

来年のわたしへ同じことを繰り返さないよう忠告します。内科には行くな。2年で8000円無駄にした。精神科の薬で乗り切れ。

1年が経とうとしているよ、という話

 

 これを書いてからもうすぐ1年が経とうとしている。1回生だったわたしには後輩ができ、部活の半分を休む幽霊部員の2回生になりつつある。

 

後輩はものすごく頼りになり、まじめながらおもしろくわたしにも気を遣ってくれる、とてもいい子である。先輩方も変わらずわたしをあたたかく見守ってくださる。

 

いつのまにこんな2回生に成り果ててしまったのだろう。

 

わたしは去年から何も変わっていない。変わっていないのに周りがどんどん変わっていくからわたしが変わり果ててしまったみたいに見えるのだ。初音ミクのkoma'nさんのBadByeってご存知?

 

昔からずっとそうだった。

 

あなたは優れているよ、才能に恵まれているよ。そう言われてそれを信じていた、まわりの人がどんなに努力しているかつゆほども知らずに。そうやって何年か来てみれば、まわりにすっかり置いて行かれてわたしはひとり、なけなしの才能のみにしがみつく哀れな小娘に成り果てているのだ。

 

誰も努力をしないといけないなんて教えてくれなかった。誰も彼も最初だけ、他の人よりわたしが優っているなんて甘言を吐いて、あとは放ったらかし。気づけばわたしは一人きり。

 

なんて弱音を吐いてみたところで何も変わらないのはわかりきっている。努力が必要だと知っただけでよしとすべきなのだろう。これから、わたしは変わるべきなのだ。変わらなければならない。

なにもない話

無気力感に支配されている。

 

なにもする気が起こらないし眠れない。夜飲むリフレックスはもう飲んでしまったし、効いてくる頃にガバッと起きてしまって目が覚めた出来事があったので作用にまかせて眠ることができなかった。

 

外の台風の名残の雨の音をぼんやり聞いているだけで呻くほどの無気力感に襲われる。

 

こういうときの対処法を、わたしは知らない。ただじっと横たわってスマホを見るだけである。ゲームも読書も何もできない。音楽、というか耳に入る音すべて苦痛だ。

 

昼ならマイスリーを飲んでラリってやる気をむりやりひねり出すことができるのだけれども、この時間に飲むのもなんだかなあという気がする。もしかしたら本来の薬効通り寝れるのかもしれないけれど、眠れなかったとき薬を無駄にしてしまったような感じがしてどうももやもやする。よくない患者である。

 

薬が効いている!とわたしが実感できるのは夜のリフレックスマイスリーでラリることだけなので、他の薬に頼ることもできない。というかさっきソラナックス飲んだけどなんにも変わらない。

 

ごろごろするしかないのかなあ。暇だ。たいくつである。からっぽだ。虚無しかない。虚無がある、とはどういうことかしら(百万回言われてそうこれ)

 

なにかこういうときの対処法を考えるべきなのかもしれない。考えるのも面倒くさい。

うさぎの話

うさぎを飼っている。

ひとり暮らしの下宿大学生では大分珍しいのではないかと思う。灰色マーブル柄。ミニウサギ。女の子。ちょうど2歳半。

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前にもうさぎを飼っていた。その子が高2の11月に死んで、その数ヶ月後に家がさびしいなとお迎えした子である。

鼻が弱いみたいで、よくくしゃみをする。よく寝る。女の子は気性が荒いと一般にいうけれどそんなこともなく、人懐っこい性格をしている。

下宿をするとき、絶対に連れてくると決めていた。この子はわたしのものだと思っていた。飼い主のエゴだけれど。

4時間半かかる道中を、キャリーバッグを抱えて連れてきた。怖がらせてしまって本当に申し訳ないとは思ったけれど、それもエゴイスティックな考え方なんだろう。ペットなんて全部飼い主のエゴでできてるようなものだ。人間のような知能を持っていなくて(と言われていて)本当によかった。そのぶんかわいがっているつもりではいる。親に取られたくなかったの、ごめんね。

お金が貯まったらいちばんに行きつけの動物病院を探して健康診断に連れて行ってあげることが当面の目標である。

あたらしいものを食べるとき変な顔をしてすんすん鼻を鳴らすこの子が、部屋に放すとわたしのあとをついてまわって足のまわりをくるくる動き回るこの子がわたしは大好きだ。