✽✽感
孤独感。孤立感。虚無感。離人感。
ひとりでいても、誰かといても、わたしはここにはいないという気がする。
息を吐くように希死を吐く。生きていたくない。
そんな心理とは裏腹に、行動は逆に生きる方向に向かう。食べる。ものを売る。買う。買いすぎてお金がない。
自分がわからない。幽体離脱みたいに、わたしが分離してしまったみたいだ。古くなったマヨネーズ。ヨーグルト。沈澱する心の深いところの希死念慮と、上澄みのような焦りにも似た気持ち。
遺書を書こう。ここ数年ずっと思っているけど実行できていないこと。まずはレターセットを買わなくちゃ。あんまりファンシーだといやだから少しおちついたもの。100均でいいかな。
こんなことも考えながら、でもやっぱり生きていくのだ。目先のことも考えなくちゃいけない。部活もしなきゃいけない。楽器練習しなきゃ。
わたしはどこにいるのだろう。
最近更新してなかったな
忙しい。とても忙しい。
自分で言うのもなんだけれどもここ2週間ほどのわたしはめちゃくちゃ頑張っていると思う。
朝7時起きがデフォルトになって、部活にほぼ毎日一番乗りして練習して帰りも居残って練習。
半分躁状態なんだと思う。反動が怖い。けれど今頑張らないとこの先やっていけない。
この頑張りに胡座をかかないように気を引き締め直してもう一度頑張ろうと思えるのでやはり躁だな、うん。
ポジティブになれるときになっておかないとあとで死んでしまうのでこれくらいが丁度よいのだと思う。
驕ることはやめよう。今の戒飭はそれだけだ。
恋愛の話
パートナーができました。
これによりわたしはアロマンティックと名乗ることをやめました。ほぼ1年前のこと。
ほぼ同時にふたりの人物に初恋をした。たぶん。男の人と、女の人。ちなみに両方歳上。だからパンロマと名乗ることにしました。バイでなくパンなのは、その人たちの人柄に恋をしたから。その人が男であろうが女であろうがMtFまたはFtMであろうがXであろうがわたしはそのひとを好きになっていただろうから。
で、そのうちのひとりが今のパートナーさんである。
とても人懐っこくて魅力的なひとで、大型犬を思い起こさせる。わたしを好きだと言ってくれる。それだけでわたしは幸せに思う。
相手はどうだろうといつも思う。わたしはほとんど常に具合が悪くてきっと相手を満足させることができていない。デートであろうがなんであろうが、途中で倒れてしまえばおしまいだ。わたしが調子が悪くてうわの空だったら、相手だっていい気持ちはしない。
わたしは人と交際することに向いていないのかもしれないと思うこともある。
そう思うこと自体が相手に失礼なんじゃないか、となって、余計にぐるぐるぐるぐる考え込んでしまったりもする。
そんな感じですが、それでも相手は自分を好いてくれます。めんどくさいわたしが好きだと言ってくれます。それはもちろん受け入れなきゃなと思う。信じるに足る人物だと思っている。
うん。違うわ、これが言いたかったんじゃないな。わたしが今のパートナーを信じていることはまあ事実なんだけど、セクシュアリティのはなし。
わたしはずっと人を好きになったことがなかった。成人、二十歳が近づくそのときまで。だから、アロマンティック・アセクシュアルと自認していた。そのほうが生きやすかったから。変わったセクシュアリティであるという自己紹介でわたしは自分の居場所を作り、その肩書きはわたしの自己防衛手段、言い訳の理由、拠りどころとなった。
わたしはそう名乗っていたわたしを「人を好きにならないアロマンティックだった頃のわたし」として自分史に刻みたいと思う。Aロマだったことは嘘ではないのだと。
うーん、言いたいことを表すにはどう書けばいいのかわからなくなってきた。ともかく、わたしは過去にアロマンティック・アセクシュアルと名乗っていましたが、今はそうではありません。ひとつの例として、悪い言い方ではなく変わったとしてもAロマであったという過去はあるんだよというモデルとして、ここにひとつ、記しておきます。
だから、そう、だから、もしAセクを名乗るにあたって変わってはいけない、セクシュアリティは固定されていなければならないと思っている人がいるのなら、そうではないと言いたい。仮に未来のあなたが人を好きになったとしても、今のあなたがAセクであるということは変わりないのだと。名乗ることは誰にも邪魔できないのだと。
そーんな感じ。あとでまた追記するかもしれない。今書ける精一杯はこんな感じ。わたしのいまの所感。
お金の話
わたしは働くことができない。少なくとも週五でどこかに勤務することはとうていできない。学校に行くのですら無理だったんだから、できるはずがない。
週四は? 週三? たぶんできない。決まった日にどこかに行くということがわたしにはあらゆる面で苦痛なのである。
この時点で働き口なんてほとんどない。ましてや今の大学生の身分ではまったくと言っていいほどないだろう。
また一方で、わたしにはお金が必要である。生活費、光熱費、クラブ費、云々。
親から月3万+家賃をもらっている。それから、お小遣い稼ぎ程度の小さなバイト。これでどうにか暮らしている。
これから先輩になって後輩に奢ることも増えるだろう。それでなくとも最近はギリギリで親に金をたかることもある。どうすればいいのだろう。
お金がないことはメンヘラを加速させる。お金がないせいで背負う余計な苦しみがある。お金さえあればすべて解決するのに、と思うこともある。
お金をとても必要としているのは(少なくとも多くの)メンヘラなのに、メンヘラが働いたりしてお金を得ることは常人よりも難しい。
世の中はきびしい。
本が読めない話
本が読めない。つらい。
わたしにとって本っていうのはさ、生活の一部だったのよ。ミステリが大好きで、他のジャンルも大好きで、1日1冊は普通で、読むことが日々の楽しみでしたわけですよ。
それが今ではきみ、1ページ読むのに十何分何十分、ひどいときには頭に入って来ないのがつらくて読むのをやめてしまうわけで。実用書ならまだ読めるけど、物語だとほんとうにだめ。
楽しくて読んでいたはずなのにいつのまにか義務になって、苦行になって。
いつも本を持ち歩いていたのに、枕元にはかならず本があったのに、見るのも苦痛になったりして。
趣味が義務に感じられると病んでるって言うけれど、本当にそうだなと思う。
どうしてこんなに読めないのか。つらすぎるでしょ。どうすればいいんだ。わたしは本が読みたいぞ。
MPの話
MP(メンタルパワー)と呼んでいるものがある。よく、「ひとと話すことで回復するMPがある」といわれる。それはわかる。わたしもTwitterがなければ塞ぎ込んでしまうだろうから。
でも、面と向かって話すことでそうでないよりも多く回復するといわれると、うん?となってしまう。
わたしはひとと話すと疲れてしまってむしろMPが削れる傾向にある気がする。気力ややる気は出ることがあっても、癒やされることがない。
誰とも会わない、話さない。わたしはこれが最高級の贅沢だと思う。Twitter上でしか話をしたくない。Twitterも、リプライよりも壁打ちツイートやエアリプのほうが好きだ。
でも、そうではない、Twitterだけじゃ人の声を聞いていないのでしんどい、という人が少なからずいることに驚いている。
そういう方はわたしからすれば明るいなあと、よく頑張れるなあと思ってしまうが、きっとそのひとにとっては頑張らずともできることなのだろう。
わたしは根のいちばん奥、根っこも根っこから根暗なのかもしれない、と思ってしまう。
叔母が無理だった話
帰省したとき、成人式に出た。成人式のあとの同窓会にも出た。
同窓会に来ていく服の上に着るコートを叔母から借りた。叔母は派手な人で、パーティードレスやコートなんかもたくさん持っているので。
その叔母にコートを見繕ってもらっているとき、マフラーを持ってきたかと訊かれた。
ので、わたしのお気に入りを持ってきた、と自分の人間失格マフラーを見せると、めちゃくちゃ笑われた。「タオルを巻いてるみたいよ」と言われた。
ショックだった。ショックだったけど、それを悟られるのが嫌で笑った。そんなことないよって笑った。
それだけ。それだけなんだけど、他のことも色々思い出して無理になった。
そういえば子どもを怒鳴りつける人だったな、とか。芸能人の身体的特徴について笑う人だったな、とか。煙草を吸う人だったな、とか。最後のはただの私怨だけど。
高知に帰ってこないならこっちから行く、と言われたけれども(アクティブな人なのでたぶん実際に来る)やめてくれって感じだ。
とりあえずそろそろ親類と縁を切りたい。無理だけど。
ただの愚痴でしたありがとうござい。