人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

逃げることはすごいという話

退職したのでまあ笑って聞いてくれや|仁淀の航跡 @Niirop9000|note(ノート) https://note.mu/hiirop4439/n/n5769eb8ab051

ふたつ上の先輩にあたるひとのnote。文章力がすごいので読んでみたらよいと思う。

ここからは私信なので読まなくても大丈夫です。長くなっちゃった文を公開する場所がここしかなかった。

 

@Niirop9000さん。

二番煎じの感想失礼いたします。(「二番煎じ」という言葉を思い出すのに10分ぐらいかかった)

「海辺の山あい」という単語に(わかる…よくある…)となり笑うなど。


それは置いておきまして、端的に言いますとものすごくわかりみが深く、そしてほっといたしました。

わたしは障害の代わりに(?)病気というそれなりに厄介なものを持っているのですが、日々の「人よりできないのちょっと無理若干しんどい」が重なって重なって、特になーんにもきっかけのような事がないのに崩壊してしまうことがほんとうによくわかるのです。

きっかけは本当に些細なことで、あれ? こんなことで? と思うのかもしれない。けれど、積み上がって積み上がって今にも崩れそうな「しんどい」が、ちょんっとつついただけで倒壊してしまっただけのことで。


わたしは先輩の決断を大いに尊敬しますし先輩ではありますが安心いたしました。このままいけば新たな「無理しんどい」が生じていたかもしれない、その前に、決定的に壊れてしまう前にきちんと逃げることができた。

逃げだけど逃げじゃない、生存戦略として立派に成り立つものです。ほんとうにすごい。

このnoteはのちへのロールモデルとなると思います。この方がこう言ってるんだからここで頑張ることをやめてしまっていいんだ! それでも生きているからよいのだ! そう思うことができると思います。

いまはとりあえず休んで、エネルギーがまた充填されたら、今までよりも楽なところを見つけて動き始めれば、それでよいと思います。はたらくだけでえらいのにちゃんとした社員登用だなんてもっとえらかったのだから、えらさメーター振り切ってえらさポイントめっちゃ貯まってますよきっと。そのポイントぶん休めると思います。またエネルギーがもどってくるまで。

お疲れさまです。またカラオケ行けたらいいなー。(マジの私信になってしまった)

あのときの話

未遂から1ヶ月が経とうとしている。

だいたい落ち着いてきたので、あのときどう思っていたのか、今なにを思っているのか、それを整理してみたいと思う。

 

あのときのトリガーは過食嘔吐だったと思う。

もともと嘔吐恐怖があったのに吐いて、身も心もボロボロになって、疲れていて自棄になっていた。深い絶望よりも、かるい絶望のほうがフットワークが軽いので自殺に走りやすいのだなと思った。うつの治りかけの人や躁状態の人が自殺しやすいのはこういうことか、と身をもって知った。

そのときの心情は、「あ、今なら死ねるんじゃね」という感じ。さっきも言ったけれど、とっても軽い。だから怖い。

救急車を呼んで、運ばれて入院をして。パートナーが帰省先からわざわざ帰ってきてくれて、わたしが病院にいるあいだに血塗れの洗面所の掃除をしてくれた。心底存在をありがたく思った。「血だらけで気持ち悪くなかった?」と訊いたら「経験したことなかったから(当たり前だ)びっくりしたけど気持ち悪くはなかったよ」とのこと。なんだよ菩薩かよ。洗面所だけじゃなくて部屋の片付けもしてくれた。マジで菩薩かよ。

それから次の日に、母が来て。母はわたしの腕の切創や自傷跡を見て「なにそれいつからそんなことしてたの」と言っただけで、深いことは何も聞いてこなかった。逆にありがたい。

退院のときも母と一緒に帰って、それから一日おきくらいに訪問されるようになった。ちょうど大叔父の葬式と被ったので長く滞在していた、というのもあって、それから3週間ほど訪問されたりされなかったりの日々が続いた。家事をしてすぐ帰らせたので家政婦さんみたいで便利であった。

 

そのあいだ、気分は激しい乱高下を続けた。もう絶対しない、という気持ちだったのに、その1時間後には死にたい死にたい死にたい、と喚きながら太ももをカッターで切っていた。

自殺未遂をしたことでなにかのタガが外れたようで、−10〜+10くらいだった気分の振れ幅が、−100〜+5くらいになった。薬を多めに飲まないとやっていられないくらいにボロボロになってしまった。直後の数週間はうさぎの世話もできなかったので、すべて母に任せていた。

といっても今は落ち着いて、パートナーに頼りながら、友人と支え合いながら、なんとか過ごしている。

 

これから先同じことをしないように、パートナーと約束をした。メンヘラ.jpのこの記事(https://menhera.jp/2118)を参考にした。

わたしはいま、マンドリンクラブを糧に生きている。11月の定期演奏会に向けて必死で頑張っている。

それが終わったときどうなるか、わからないけれどなんとなく想像はつく。もう生きる意味なんてない、と思うだろう。

だから、定期演奏会が終わったらすぐに引き摺ってでも病院に連れて行ってくれ、とパートナーに頼んだ。また、12月よりあとの予定も入れることで強制的に生きるように仕組んだ。

それから、髪を染めようと決心した。マンドリンはステージマナーが厳しいので、派手な髪色にできない。だから舞台から降りたら派手な色にしてやろうと決めた。

これで、強制的に死なないようにする。

 

 

どうして救急車を呼んだのだろう、と考えることがある。死ぬのなら、Twitterなんかに書き込まずにひっそり死ねばよいのに。

わたしの結論として、実験的にやってしまったのかもしれない、と思っている。死なないつもりだったわけじゃないけど、自分が死ぬとなったらどうなるのだろう、という少しの好奇心。この傍迷惑な好奇心のせいで大騒ぎになって、そしてこの好奇心のおかげで死なずに済んだわけだけれど。

たくさんの人が心配してくれた。消えない傷が手首にも過去にもできた。いいことも悪いこともあった。お金もかかった。もう自殺しない、と今は思えている。

それでもいつ落ちるかわからない。怖いけれど、色々な人に頼ってなんとかやっていけたらと思う。

自殺未遂した話

自殺未遂をした。

過食嘔吐をして死ぬほど泣いた日だった。

今なら死ねると思った。

痛みを誤魔化せるかなと考えて、眠剤を18錠、金パブと呼ばれる風邪薬を30錠飲んだ。遺書を書いて、バスタブに水を張りながら、手首を何回か剃刀で切って浸けた。

水が溜まるのが遅くて、手首まで浸からなかった。だから横にある洗面台に場所をうつした。

そのあたりで、死のうと思いますとツイートをした。たくさんリプライがきた。あー止められているなあと思った。涙は少し出たけれどびっくりするほど心は凪いでいた。

パートナーから電話がかかってきた。内容はあまりおぼえていないけれど、向こうは泣いていて、つられてわたしも少し泣いた。

25分間、ずっと繋いだままだった。救急車を呼んで、呼んでください、と呼びかけられ続けていた。その間にもTwitterを見たら、なんだかいろんな人があわてていて、あーわかるな、わたしも友人の未遂を止めようとしたときそんな感じだったな、と思った。

ずっと洗面台に傷を浸けてゆらゆらし続けていたら、溜まった水がとても綺麗な赤色に染まっていた。ほんとうに、とても綺麗だと思った。浸けている手が邪魔に思えるくらいに。

そのあたりで、あーなんか、もういいかな、と思った。思ったより頭も朦朧とはしていなかったし手足のしびれなんかもなかった。きっと軽かったんだろう。

パートナーとの電話を切って、どうせならスマホのエマージェンシーモードをはじめて使ってやろうと119にかけた。

そのあと救急車が来るまではあまり覚えていない。履歴を見るとパートナーとまた通話していたことがわかるけれど、何を話していたのかまったく覚えていない。

救急車の中でかなり長い時間を過ごした。受け入れてくれる病院を救急隊員さんが探してくれていた。いろんなことを聞かれた。あまり覚えていないけれど。親の所在地と連絡先について聞かれたことだけ覚えている。

そいで、もう書くのめんどくさくなったから端折るけれども、いまはとりあえず救急病棟に入院中で、明日親が来る。

気持ちはまだ乱高下を繰り返している。一度寝たら前向きな気持ちになったけれど、もう一度寝て起きてこれを書いている今は人生なんてクソ食らえだというお気持ちである。

でもたくさんの人に影響を与えることがわかった。人の冷たさも、人の優しさもわたしは好きだ。いろんな人に迷惑をかけた。とりあえずわたしはわたしの人生を生きる。しんどくてたまらなくなったら、パートナーと話したことを思い出す。とりあえず、とりあえずそれで乗り切れたなら波が過ぎ去るのを待つだけだ。

きょうは看護師さんに寝ろと言われたので寝る。

つらい

近ごろ色々ありすぎた。

しんどさがある。もう語彙力を失うほどのしんどさ。語彙力。

薬がまた増えた。やっぱり単極鬱だと思われたのだろう、サインバルタが2錠に増えた。

Twitterでも何度も言っているけれど、 からだが動かないことのもどかしさ、着替えて外に出るだけなのにそれだけのことができない悔しさは経験した人にしかわからないと思う。

そのことを責めるつもりなんてまったくないけれど、わからないのだなあと思う、それだけ。

わからないほうがもちろんよい。

でも、わたし(たちわかる人)の強みは、同じ悩みを抱えている人に対して共感したり一緒に考えたりできることだと思う。

同じように、共感をもらえたりするととてもほっとする。

似たようなことで苦しんでいる人に少しでも、時間つぶしにでもなればいいなと思う。間接的にでも微々たるものでも助けになればと。これを読むことで助けられるとは思わないけれども。

どうか、どうか苦しむ人々に救いを。そしてわたしにも少しでいいからおこぼれを。

躁っぽい話

( ゚д゚ )彡そう!

 

じゃなくて。

ここのところ、気持ちが逸る。心だけが先行して、体が置いてけぼりになっている。

主治医には軽躁かもしれないと言われた。薬が減った。

もしかしたらうつが治っているだけなのかもしれない。だけっていうのもおかしいけど。喜ばしいことなんだけど。

軽躁か治ってるんかどっちつかずなのが怖い。薬ODしたときの、ハイな感覚から急降下する感じ、あれが来るんじゃないかとめちゃめちゃ怖い。

でもハイ。ハイつーか何も考えてない。ぽんぽん物買っちゃう。こないだ眉マスカラ色間違えて買ったし昨日もミックスジュース買うつもりでアップルジュース飼ってた。ほら誤字ふでしょ。って言ったら誤字の文も誤字るでしょ。

ポンコツに拍車が掛かってる。ないわー。

でも色々できるうちにやっておきたい感はある。なんかできることあるんじゃないかな。1年ぐらい前に書いたやりたいことリスト見返してみよう。

見返してきた。なんか壮大なことばかりでできそうもなかった。あーでもこうやって思えるってことは躁じゃないのかも。

やだーもうわかんない。助けて神様。誰だよ神様。

メモ書き。サインバルタ3→2→1錠、4月頭〜5月にかけて。

✽✽感

孤独感。孤立感。虚無感。離人感。

ひとりでいても、誰かといても、わたしはここにはいないという気がする。

息を吐くように希死を吐く。生きていたくない。

そんな心理とは裏腹に、行動は逆に生きる方向に向かう。食べる。ものを売る。買う。買いすぎてお金がない。

自分がわからない。幽体離脱みたいに、わたしが分離してしまったみたいだ。古くなったマヨネーズ。ヨーグルト。沈澱する心の深いところの希死念慮と、上澄みのような焦りにも似た気持ち。

遺書を書こう。ここ数年ずっと思っているけど実行できていないこと。まずはレターセットを買わなくちゃ。あんまりファンシーだといやだから少しおちついたもの。100均でいいかな。

こんなことも考えながら、でもやっぱり生きていくのだ。目先のことも考えなくちゃいけない。部活もしなきゃいけない。楽器練習しなきゃ。

わたしはどこにいるのだろう。

最近更新してなかったな

忙しい。とても忙しい。

自分で言うのもなんだけれどもここ2週間ほどのわたしはめちゃくちゃ頑張っていると思う。

朝7時起きがデフォルトになって、部活にほぼ毎日一番乗りして練習して帰りも居残って練習。

半分躁状態なんだと思う。反動が怖い。けれど今頑張らないとこの先やっていけない。

この頑張りに胡座をかかないように気を引き締め直してもう一度頑張ろうと思えるのでやはり躁だな、うん。

ポジティブになれるときになっておかないとあとで死んでしまうのでこれくらいが丁度よいのだと思う。

驕ることはやめよう。今の戒飭はそれだけだ。