人影のない冷い椅子は

だいたい薬でわーってなって超読みにくい文を書いてます

母の話

大学の部活が一区切りついた。もう代替わり。疲れた。

部活を見にくるので母親が来ていて家事手伝いを頼んでいた。ひとり暮らしのワンルームに1週間人を泊めるのはひとりの時間が必要なわたしにとって大分つらいけれど、体調が思わしくなくて家事どころじゃなかったので部活に専念するためにも家のことはやってもらった。

その1週間の半ばくらいで、母がうちにある本をもらえないかと言ってきた。少し前に買っていた、どこにでも売っているわけではないマイナーな本で、それを見た知り合いがいたく気に入ったらしい。わたしは承諾した。うちでしか買えなかったのでそれがいちばん良い選択だとわかっていたし特に置いておきたい本でもなかった。異論はなかった。

でも、それでひとつなんとなくわかったことがある。今までわたしは親に対してこうやって生きてきたんだ。否定をせずに、反抗をせずに生きてきたんだ。喧嘩なんて一度もしたことがない。親はわたしを何でも知っていて頭がいいと褒めてくれたし、わたしはそれを自慢した。その関係には不満なんてない。でもそれとは別に抑圧されていると自分には感じられた。失礼なことを言っているかもしれない。それでもわたしはずっと親が怖かった。親が絶対だと、物心ついたときから思っていた。反抗なんてしようものならどう怒らせるかわからないといつも片隅で考えていた。しんどかった。ひとり暮らしができて心底ほっとした。

わたしの性格と親のそれとの違いの問題であって親にはなんの罪もないからどこにも言いようがなかった。でも最近やっと親が他人だと思えるようになってきて、自分とは違う人格を持った遠い人だと認識できはじめた。それはわたしがちゃんと、母の娘としてどこか怯えながらではなくひとりの人として親に文句を言うことができるようになるきざしなんじゃないかなあと思う。

感謝はしている。たぶん。そうしないと人非人だと思われそうだから。でも、血が繋がっているだけのただの他人なんだ。わたしにとっては仲の良い友達や先輩やフォロワーさんのほうがはるかに心の距離が近い存在であるし、感謝する度合いも別に親だからといって特別にする必要はないのだ。

理屈ではわかっているんだけれど感情はまだ世間や本人を気にして罪悪感を覚えざるを得ない。これからは気にしない、自分は自分、他人は他人を心がけたい。のんびり自分の行きたい方向に持っていけばいいんだとおもう。

(人から見て)人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。なんつって。

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