人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

幼少時代の話

唐突にわたしの自伝的なものを書いてみようかと思った。というかわたしがブログを開設した動機はわりとこれで、人生振り返れば何かわかるかなって思った。ので順を追って書いていこうと思う。わたしの思考を整理するためだけのもので他に何の役に立つわけでもないけど。

 

わたしは大阪の北河内の病院で生まれた。親は両親でコンビニを経営していた。家の近くのコンビニだったからよく連れて行かれて、一人娘として大人たちに可愛がられていた。経営は難しかったらしく特に父親は一晩中店に出ていることも多くて変則的な生活だったみたいだった。

3歳だったか、忘れたけれど、母に寝かしつけられて眠ったある夜、目が覚めると家に誰もいなかった。あっママが寝る前にパパに言ってた「タナオロシ」だ! と思ったのを覚えている。夜中(何時かはわからない)、当時住んでいた団地から徒歩5分のコンビニまで裸足でひとりで歩いた。店のドアを開けて開口一番「ママは!?」と鋭く叫んだらしい。「一番びっくりした」と母に後に言われた。それからは夜出て行く時は寝袋と一緒にわたしも連れて行かれるようになった。そりゃそうだよな危ないもんな。

保育園に入るまでずっと大人しか知らなかった。大人との会話しかしてこなかったから、保育園で同い年の子がたくさんいるのを見て驚いた。最初はやっぱり先生にしか懐かなかったみたいだけれど、そのうち友達もできて話せるようにもなっていったようだ。

その頃から外で遊ぶより本を読むのが好きな子だったのでずっと本を読んでいた。外に連れ出されたりおままごとに付き合わされたりもした。おままごとは何が楽しいのかさっぱりわからなくて無言でいたら、ひたすら赤ちゃんの役を割り当てられた。仲の良い上級生とサラサラな砂集めもよくしていたけれど、ふたりで集めた砂をひとつ上のその子が全部取っていくので背中に自分の砂を隠していたら見つかって全部取られた、という思い出がショックすぎてそれで全部上書きされた。

同じ園の友だちはその頃の子どもにふさわしく気まぐれに笑い気まぐれに泣き気まぐれに怒ってわたしを叩いたりするから、わたしはよく泣かされていた。きょうだいのいないわたしは喧嘩という概念を知らずひどく臆病で、ただ怒られるのと叩かれるのが怖かった。

 

その保育園は保育園なのに教育をしていて、火曜日は体育の日、水曜日は英語の日、木曜日は水泳の日だった。

体育の先生は豪快に笑うおっちゃん先生だった。前回りができないわたしの尻を叩いて無理やり回されたので怖かった。ただ、自由時間にみんなが遊んでいるときに担任の先生と雑談しているのを足元でずっと聞いていたとき、「上から読んでも下から読んでも同じ国名」という文言が出てきて、そのとき既に物覚えにハマっていたわたしはすぐに「アジア!」と答えた。おっちゃん先生は一瞬びっくりした顔をして、苦笑いしたあとものすごく褒めてくれた。嬉しかった。

英語の先生はほとんど覚えていない(他の先生が強烈すぎて)。園児のわたしはものすごく引っ込み思案で人前で声を出すことが苦手な子どもだったので、授業の最初に横に並んでアルファベットを1文字ずつ言っていかされることで毎週とても緊張していたことだけは印象にある。

木曜日はいちばん保育園に行きたくない日だった。家であらかじめ髪をしばられて、バスに乗せられて、近所の屋内プールに連れて行かれた。行くたびにプールの前でギャンギャン泣いてコーチを困らせた。2年(3年かもしれない)習ったけれど、習熟度を表すワッペンは他の子たちがどんどん進んでいくのに対してわたしは最初から3つめまでがやっとだった。この頃から運動音痴だった。

歌とお絵かき、それから工作は得意だった。店の裏ではいつもいらない紙やストローを使って絵を描いたり工作をしたりしていた。思いつく限りの童謡をつたなく歌っているわたしの声が録音されたカセットテープもある。

発表会というものもあってその練習は、劇はただ憂鬱だった。年中組のときやったピノキオの妖精役はどうしても声が出せなくて、大幅に台詞を削ってもらった。そんなだったのになぜか1年で大成長したらしく、年長組ではオズの魔法使いのトトという大役をした。6歳のわたしに何があったんだろう。

発表会では合奏と歌もして、これは年長のときしか覚えていないけれど、CARPENTERSのSingを歌って、シンコペーテッドクロックを合奏した。わたしはグロッケン(そのときは鉄琴って呼んでたかも)だった。これだけは楽しかったのに、何の媒体にも残っていない。わたしの変な歌の録音やら嫌々撮った写真はたくさんあるくせに。

保育園は小規模だったし先生も好きで、おおむね無邪気に楽しんでいた。制服と鞄がかわいくてお気に入りだった。この頃がいちばん人生楽しかったかな。園児だし当たり前かな。

 

ひとつ思い出すと芋づる式にどんどん出てきて長くなってしまった。こんなに保育園の記憶があるとは思っていなかったのでおもしろい。こんな感じでなんの需要もない記憶の羅列を続けていこうと思う。

 

なんの需要があるかわからないのでいちおう次→小学生時代の話 - 人影のない冷い椅子は