人影のない冷い椅子は

だいたい薬でわーってなって超読みにくい文を書いてます

転換期の話・そして父の話

更新がめんどくさかったので3月で止まっていた。

 

うにゃうにゃ自分史シリーズその3。

(需要があるかはわからないがその1がこれ→幼少時代の話 - 人影のない冷い椅子はで前回がコレ→小学生時代の話 - 人影のない冷い椅子は

 

大阪でぼーっと過ごし習字とピアノを習い、初めてのピアノの発表会を数週間後に控えた小学校4年生の夏休みのこと。

親子3人で過ごしていた家庭に何か異変が起きつつあるのはなんとなく察していた。もともと忙しかった父親の帰りがますます遅くなって、後退していた生え際がさらに目立つようになり、背中が痛い痛いとうめきながら母に湿布を貼ってもらっている姿を見ることが増え、その母も父を手伝いに店に出て一晩中帰ってこないことが増えた。

ここからは記憶が断続的で順番が間違っているかもしれない。あっという間の出来事だったから。

まずひとつの記憶は、夜わたしがふと目を覚ますと枕元に誰かの気配がしたこと。見てみるとそれは父の弟、つまりわたしの叔父で、わたしのほうを向いて正座をして、声を殺して泣いていた。いつも遊んでくれる楽しい叔父が、というか大人が泣くことなんてないと思っていたから、わたしはただただ混乱して、寝ぼけた振りをして二度寝をした。叔父は泣きながらそんなわたしを笑った。

それから、そこからそんなに離れていない日の朝。怒鳴り声で目が覚めた。それも同じ叔父で、電話越しに父に対して怒鳴っているようだった。「何しとんじゃ」とか「謝って済むことか」とか、そんなことが聞こえた気がする。目を覚ましたわたしに気づいた母はそっとわたしを部屋に戻した。それでもなお聞こえてくる止まらない涙混じりの怒鳴り声に、わたしは何も考えられずに戸惑っていた。

最後は、とても静かなダイニング。団地から新しくなったマンションに住みはじめたばかりでまだあまり物のない12畳ほどのフローリングに置かれたテーブルに親子3人が座って、父は悲しんでいるのか何を思っているのかよくわからない顔で黙っていて、母だけが話した。「パパは病気でね」「別々になることになったから」「夏休み中は高知に行こうね」と話す母の目も赤くて、大人が泣くのを初めてこんなに見て、わたしはなんだろう、いたたまれない思いに囚われた。

そのときから、怒鳴るだけじゃなく親の代が泣くのを見るのがとても苦手だ。 

別々になると決まってからの引っ越し作業は淡々と、そして着々と進んだ。母は最低限のものだけを実家に送り、わたしはほとんどの絵本は置きっぱなしにしていた。まだ、わたしは帰ってこれると思っていた。「夏休み中は高知で」ということだけがわたし本人に関することだったので、幼いわたしはそんな気休めだけを信じて最低限のものを持って高知に飛んだ。

それまでにもよく高知の祖母の家(つまり母の実家)には行っていたので、その一環だなと思っていた。親が家を探し始めたのでついて行った。夏休みひと月住むのに家を探すのかあと思った。家が決まった。いろいろな荷物が運び込まれ、まさにここがこれから住む場所かのように設えられた。地元の子ども会に連れて行かれた。運動会に参加した。近所の子と仲良くなった。8月末、2学期が迫っていた。「夏休みだけじゃないん?」わたしは母に訊いた。「うーん、まあ、帰らないよ」母は濁そうとして濁せない感じで答えた。帰らないのかあ、と思った。それだけだった。

「パパはどうしたの?」とも、その少し後に訊いた。「肝臓が悪くて山口県の病院にいる」と返ってきた。あとから(これの数年後)わかったんだけれども、少なくとも病院というのは嘘だった。父がその間どこで何をしていたのか、そもそも父に何があったのか、わたしは想像はつけどもまったく今でも知らない。今は働いて、わたしの近況も知りたがっているらしくたまに写真を母伝てに送ったりする。

パパ、つまりわたしの父親についてはこれがすべて。

次はわたしの引っ越したあとの小学4年生の2学期から始める。