親がやっぱり苦手なのだ、という話
母について、母への嫌悪感についてもう一度考え直してみようと思う。
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きっかけは、今年のクラブの夏合宿のとき母がわたしの家に来る、その期間を聞いたときである(うちにはうさぎがいるので、長い合宿のときには誰かに世話を頼まなくてはならずいつも母に来てもらっている)。
3週間。合宿を含めて3週間、うちのワンルームに滞在するというのだ。
母の新しい再婚相手、わたしの義理の父になる人が手術で3週間かかるらしく、その間はこちら(大阪)にいたい、と母は言う。携帯の機種を変えようという時期だからそれも見に行こう、とついでのように言われた。
そして、わたしはそれをそうか、そうなのか、と当然のように承諾して、でも人と3週間もひとときも離れずいるなんて嫌だから(ただでさえ合宿で集団行動をするのに)Twitterで愚痴りまくった。
母親、料理しないしうちのワンルームに3週間泊まるのでその間ふたり分公共料金かかるしそれ払うのわたしだし、食費しか浮くものがない わたしのメンタルは削れる デメリットのほうが大きいのでは??
— 盲目的愛情 (@mmktkaij) 2017年7月21日
ちょっとぐらい文句を言っても許されるのでわ???
— 盲目的愛情 (@mmktkaij) 2017年7月21日
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これを見た知り合いやフォロワーさんが、それは長いよね、普通じゃないよね、と言っているのを聞いて、やっと、やっとだ。わたしはこれがわたしの気持ち的なものだけじゃなく本当に少しおかしいものなのだと知った。
でも、わたしの中ではいまだにこれが普通で、親の言うことは聞くべきで、反論は少しはすれども結局結論は変えられない、という思いが大半を占めている。だがこの親には反抗してはいけない、という考えに相反して、わたしは母が大の苦手である。これをどうしたものか、考えた。
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考えて、とりあえず母に対する感情を整理してみよう、と思った。好きなところ、嫌いなところを思いつくままに挙げてみよう。これを読む物好きな方にはちょっとだけ付き合ってほしい。こういうのが苦手な方は読み飛ばしてください。
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まず、母の好きな部分。
- 幼いわたしに本を与えてくれた。
- 習字を6年間やらせてくれた。
- ピアノを1年間習わせてくれた。
- 頭がいいと褒めてくれた。
- 見た目が若いこと。
- わたしに対してあまり怒らない。
- わたしを育てるお金の多くを稼いでくれた。
- 漢検を受けるきっかけをくれた。
- 風呂に入らなくても気にしないところ。
- わたしが小学生のとき、わたしの気まぐれな四字熟語やことわざを言い合う遊びに何回も付き合ってくれたこと。
- 本や文具なら何でも買い与えてくれたこと。
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次に、母の苦手な部分。
- 煙草を吸うこと。
- 他に娘がいることや父のことなど、母に関する物事をわたしに教えてくれなかったこと。
- 店員さんに対して厳しいこと。
- 高2でわたしの具合が悪くなってわたしが病院に行きたいと最初に行ったとき、すぐに連れて行ってくれなかったこと。
- 小1のとき中之島のビアクルーズに父と3人で行ったとき、父が悪酔いして駅の中で吐いたのに笑ってわたしと父を連れて逃げたこと。
- それを翌日覚えていなかったこと。
- 服の趣味をわたしに押し付けたこと。
- 倫理的というか、マナー的にグレーなことを平気な顔してやるところ。
- 公共交通機関の中で喋る声が大きいところ。
- わたしと一緒に遊んでいた友達をバカにしたときがあった。
- わたしの家を宿として平気で何週間も使い、そのくせ料理も何もしてくれないこと。
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……羅列してみた。
気がついたこと。なんだろう、ちゃんと好きなところもあるのに、こう苦手な部分が大きすぎるんだ。小1のビアクルーズの記憶は頭にこびりついて離れない。誰にも言ったことはないけれど、そこから若干嘔吐恐怖があるくらいだ。
そもそもの倫理観やそういうものがわたしの性格と違うのだと自分で思っているのだな、と、書いてみて考えた。
わたしはかなり潔癖な(風呂は入らないことがあるが、自分で決めたルールはなにがなんでも守りたいと思う)ほうなので、母のルーズな感覚についていけないというのもあるのかもしれない。
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さあこれをどうしたものか。母に対してどう接するかは、いまだにわたしの中でも決めかねているところがある。前の記事で「育ててくれた感謝を示し、その上で離れたい」というようなことを書いたが、どうやって離れればいいのかも、どうやって感謝を示せばいいのかすらもわからないのだ。生んでくれてありがとう、なんて、そんな歯の浮くようなことまったく思わないし考えただけでも鳥肌が立つ。学校行事の節目節目で親に感謝しましょうと言われ続けて、何枚も手紙を書かされて、でもわたしが書けるのはいつも数行で。周りの同級生たちがすらすら書いているのが信じられなかった。
上記のとおりたくさんしてもらったことはあるのに、感謝するような気にもなれないのだ。まったく親不孝なものである。
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そう、親不孝。このことばがわたしを縛っている。つまり、育ててくれた親に感謝もできないのか、と糾弾されたり引かれたりすることが怖いのだ。利己の極み。
この自己保身をなんとしようか。誰か有名人が「私は上流階級の家柄の育ちですが親が嫌いです」なんて声明を発表してくれないだろうか。そうすれば世の中の親不孝ということばの重みも少しは軽くなる気がするのになあ。そんなことしか考えられず長々とこんな文章を書いてしまった。何も結論が出ていない。とにかく愚痴を言いたかっただけだな。ブログに書けるだけマシなのかもしれない。いつか解決できたらなあ、と思う。