人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

死なないためにわたしがしたこと

「あれ」から、2ヶ月が経った。

気分の上がり下がりは-100〜+5から、-30〜+5程度に落ち着いた。それでもやる前は下が-10くらいだったわけだから、かなり気分の落ち込みが激しいときもある。

皮膚を切ったときに、これを水に浸けた、あの色をもう一度見たいなと思ってしまったことがある。そのときはさすがにやばいなと思って薬を飲んで寝逃げした。

そんな感じで、一度死ねる勇気を持ってしまったわたしは、死のハードルは思ったより低く超えようと思えば超えられることを知ってしまったわたしは、あちら側に引き込まれそうになることがまだたまにある。これでも減ったほうだ。入院から1、2週間は2日に1回は自殺企図をしていた。

また、変わったことがもう一つある。死ぬことを前提に生きるようになった。というか、いつもこころの奥底には「死にたい」があって、その大きさはいつも変わらないけれど、それを覆い隠す、おもにプラスの感情が消失したときにふっと顔を表す。

普通に、自分が怖いと思った。だから、他の人の手を借りることにした。箇条書きにして書き出してみる。

  • まず、退院した直後にパートナーに電話をかけて、「定演が終わるとわたしは死にに行くと思うから、帰る暇も与えずすぐに病院に連れて行って欲しい」という旨を伝えた。バーンアウトしてしまうことは目に見えているから。
  • このブログをたくさんの人に見てもらうことにした。盲目的愛情のフォロワーさんだけでなく、信頼できるリアルの知り合いにも。わたしはキャパが小さいので、自分の人生ひとりで背負うのには重すぎたから少しずつ小分けにして持ってもらうことにした。自分の人生なのに重すぎるってどういうことだよって感じだけれど。
  • パートナーと、あるいは他の友人・先輩と、遊びに行く約束をいくつかした。12月だったり2月だったり、来年の春だったり夏だったり。ここまでは生きようと、頑張ろうと思えるように。
  • 学校のカウンセリングを再開した。カウンセラーさんはとっても心配してくれて、病院にまで電話をかけて報告をしてくれた。

 

こんなふうに、自分が死なないための方策をいくつか立てた。まあ、それでも死ぬときは死ぬと思う。でもいまがそのときじゃない、と思える日が増えるように。

あと、いざ死んだときにこうやって色々やってたんだということを残しておくと死後責められない気がする。死後のことなんて知る由もないんだけど、もしかしたら周りに悔しい思いをする人がいるかもしれないから。ちゃんとわたしはまわりに助けを求めていて、まわりもそれに応えてくれていたということはこうして残しておきたいのだ。

死は怖くないままだけれど。頑張れるだけ頑張ってみたい。