人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

死ぬのをやめた話

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

――夏目漱石草枕

 

わたしは、2月の半ばまでには死のうと思っていた。決めていた。決心していた。

その理由は下記にあるんだけど、だから載せるんだけど、でも、やめた。

後輩が絶対に来年の定演に出てくださいね、練習に参加することを約束してくださいねってわたしに言った。それだけ。たったそれだけだけど、わたしは死ぬのをやめた。

用意していた遺書がこれです。わたしのしんどさの理由。

 

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ひと足先にさようならです。

人間世界はいろいろな思惑に溢れていて、わたしには重すぎました。自分ひとりの人生も重すぎてひとりじゃ持ちきれないようなわたしが、人間の世で安穏と生きていくことは許されないのでした。ちゃんちゃん。

みんなが遠くへ行ってしまうことが寂しくて仕方がないのです。ここ(http://mmktkaij.hatenablog.com/entry/2017/11/05/105233)に書いたように、自分が変わっていないのに周りが変わっていくから、わたしだけが変わっていないから、わたしがどんどん置いていかれているように感じるのです。だからわたしも、どこか遠くへ行きたい。遠くへ。遠くへ。何も気にしなくてもいい、夢幻の場所へ。
わたしに死なないでほしいと思う気持ちは痛いほど感じます。わたしは思っているよりみんなに愛されていたようです。もちろん嫌いな人もいるでしょう。しかし、みんなが思っているよりわたしがいちばんわたしのことが嫌いです。反吐が出るほど嫌いです。そして、愛されれば愛されるほど、消えたくなってしまうのです。大事にされればされるほど、自分は分不相応で、愛されるような人間ではないことが身にしみてわかるのです。

 

――お願いだから消えさせてください。

わたしの身体はもうきっとボロボロです。咳止めの中には麻薬成分が入っていて、それは界隈ではまあまあ有名な話なのだけど、定演までは数日に1回はそれを1回に20錠とか飲んで生き延びていた。飲まないとやっていられないくらいには、人間界がしんどくなっていた。そして、麻薬には依存性がある。もうやめられないことがわかっていた。

まあ、だからってだけじゃない。死ぬことは既に、前回の自殺未遂より前には決めていた。いつ死のうかな、と考えながら生きていた、そんなふうには見えなかったかもしれないけど。

――だって、もうわたし頑張ったよ。頑張って生きたよ。性格の合わない親のもとで優等生として18年間過ごして、公立大に合格して、休学したけどそれは部活のためで、その部活の幹部も完遂した。お金も惜しみなく使ったし、自分で言うのもなんだけど広報をめちゃくちゃ頑張ったんだよ。ちゃんと引継ぎもしたよ。伝えたいこと全部引継ぎ資料に詰め込んで、もう伝え残したことないよ。

わたしは周りから見れば頭がいいのにサボり魔な悪い子だったかもしれないけど、地頭がいいのだっていいことばかりじゃなかったよ。サボらないと生きていけないくらい息が詰まって仕方がなかった。わたしにはまわりの優等生が、努力できている子たちがものすごく優れて見えた。実はわたしなんて大した存在じゃなかった、その思いを突きつけられるくらいに。

それでも、部活だけはやりたいと思った。高校の部活もなんにも貢献はできなかったけど必死で頑張った。大学も、先輩に釣られて入った部活、だけど入ったからにはちゃんとやり遂げようと思った。そして、5年に1回の大役がわたしたちの代に当たって、これはピンチでありチャンスだと思った。死のような重圧と引き換えに、わたしが何者かである証拠を残せるものだと。

必死で、本当に必死で頑張った。必死ってことば、死ぬまであるわ。マジで。

わたしの得意なことは何か、できることは何なのか、精一杯考えた。それで、高校のときの知識と、それから積み上げてきた少しのPCスキルを使えることに気がついた。高校のとき身につけた音楽知識となけなしの度胸を使って合奏に貢献できるようになった。PCスキル、それからネットスキルを使ってTwitterやサイト運営、周りとの情報交換、広告作りができるんじゃないかと思った。そして、それらすべてを実行した。楽しかった。

楽しかったけど、死ぬほどきつかった。もともと起立性調節障害や低血圧持ちで体力のないわたしははじめからあまり頑丈なほうではなくて、うつも併発してからはもっと脆弱になっていたから。

でも、わたしがやりたいと思ったから。これができるなら死んでも構わないと思ったから、やった。

こんなに頑張ったのに、まだわたしに頑張れって言うの? そんなの、そんなの意地悪すぎない? 酷すぎない? ならやるなって? やりたいことを書き出したブログを見てよ。太く短く生きたいって書いてあるでしょう。こういうことなんだよ。

生きてっていうなら、わたしの病気を治してよ。体じゅうにある精神にもある傷跡を、ぜんぶぜんぶ容認してよ。生きる場所を与えてよ。働く場所を与えてよ。もうそんなものも、そんなことする気も、ないくせに。あるのかもしれない、ある人もいることをわたしは知っている。けれど、自分で探させられることになりそうで、わがままだけど、わたしはもう努力のための努力なんてしたくない。頑張りたくない。楽になりたい。お願いシンデレラ。夢は夢で終われないんでしょ。現実に、わたしを地獄へ連れて行ってよ。天国になんか行けないことは知っている。そんないい子ちゃんじゃなかった。地獄でいい。現世が地獄みたいなものだったから慣れている。

とても長くなってしまったけれど、これがわたしの気持ちです。生きる人はえらい。それは断言できる。自分勝手だけど、わたしは無理だった。それだけ。

後追いとかはできればしないでほしい。わたしが影響を与えられる人がいたことが死後にわかるなんて、悲しすぎるから。

ネットの人への、そしてわたしの自伝的な遺書でした。わたしに今まで居場所を与えてくれたみなさん、本当にありがとう。そして、さようなら。

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死にません。まだ。まだ死なない。生きてやる。