人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

生きがいの話

11月末、わたしのひとつのアイデンティティであったギターマンドリンクラブを引退した。

3年半通して基本的につらかったけれども、終わってみると部活に行く理由がなくなった空虚さもときどきよぎるようになった。

 

また、2月に、わたしの推しのアイドルちゃんが所属しているグループが解散し、同時にわたしの推しの子も卒業する。

出会って1年も経っていないけれど彼女はわたしの生活に深く根付いていて、わたしはいつの間にかその偶像ばかりに縋っていた。いつかいなくなることはわかっていたけれど、こんなに早くそのときが来るとは思っていなかった。

 

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生きがい、というのは、居場所、という言葉と意味を同じくしていると思う。

ひとつのものばかりに頼っていると、それがなくなったとき、希望が消えてなんにもなくなってしまう。居場所を分散させていざというときのために踏んばる場所をたくさん作るみたいに、生きがいも繋いでいかなければならないのだ。細い糸をより合わせて綱にするように、たとえ1本の細い糸が切れてもぜんぶが切れてしまわないように。

いろんな人に生きがいはなんですか?あなたの生きる理由は?と訊いてみた。いろんな答えが返ってきた。恋人のため。周りの大事な人のため。人類史を見届けたいから。自分のため。アイドルのため。探す、ため。

 

わたしもそんな感じだった。けれど、部活、とある推し、という2本が太すぎて、他を太くするのを忘れていた。

もちろん恋人も糸のひとつだし、フォロワーさんもひとつだ。けれど。

 

わたしは人にものをプレゼントしたり何かしてあげたりすることが生きがいだった。

それが最大限にできるのが、前述の2本の糸、部活と推しだったのだ。すごく喜んでもらえるし、わたしの心も満たされた。

それが、2本ほぼ同時に切れてしまう。わたしのこの、自分のしたことで喜んでほしい、という思いの行き場が、なくなってしまう。

恋人に会うたびにプレゼントするのは重いかな、と思うし、部活に行かなくなることで誕生日プレゼントを渡す相手が急減した。

 

他の生きがいを、糸を見つける、もしくは太くすることが必要であることはわかっている。

2月3月にふたついっぺんに切れたら、わたしはこのままだとたぶん死んでしまうと思う。糸をより合わせてできた紐が、あまりにも細すぎて。

死ぬことで、わたしをリアルで知る人の気分も落ちるだろうし、フォロワーさんの生きるモチベーションも下がるだろうということは想像に難くない。悲しみは癒えるけど虚しさは癒えないということも知っているのだが。

頭ではわかっていても、気持ちというものはコントロールできないもので。

何か足掛けや、足枷でもいい、そんなものが見つかれば、死なずに済むと思うのだけれど。

今のところ、何もない。

何かを見つけなければならない。そのために今、たくさん動いている。見つけなきゃ。生き続けなきゃ。そう思っている。