人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

中学生時代の話

何年ぶりかに自分史シリーズのつづき。

 

小学4年の2学期から高知に引っ越したわたしは、そのまま順調に地元の公立校の中学生になった。

友人に連れられて、吹奏楽部の体験に行った。そのまま入部し、フルートを吹き始めた。先輩方から可愛がられて育って、先輩方のいざこざに巻き込まれて死ぬほど泣いた。

マーチング(吹きながら隊列組んで歩くやつ)に挑戦する学校で、面倒くさいなあとみんなで言いながらそれでもわたしは楽しんでやっていた。別の私学に行った友人とも会えたし大会が楽しみでもあった。

勉強面では学年一位を取り続けた。まったく勉強はしていなかったけれど。中学生くらいまでなら勉強しなくても、なんなら授業聞かなくてもできた。本を読んでいたほうが有意義だと思って読んでいたら怒られて晒し者にされたこともあったけど全然反省していなかった。都合の悪い生徒だったと思う。

小5から漢検を受け始めていて、中学2年生で準1級に合格した。その頃から漢字に興味を持って、色々新書を読んだりしていた。

同じく中2ごろから立ちくらみに悩まされるようになって、地元の小児科に通っていた。血圧が異常に低かったので、昇圧剤を飲んでいた。たぶん起立性調節障害のはじまりだったのだろう。授業中に胃が痛くなったり体育の授業前に吐き気に襲われたりしていて、よく保健室のお世話になるようになった。

友人がハブられていた。別の友人がいじめっ子気質で、よくいろんな人の悪口を言っていた(わたしも言われていたと思う)。いたずら感覚で自転車の鍵を盗んで遊んでいたのを、貸してと言って貰ってこっそり返したりしていた。ハブられていた友人とは話すこともなくなってしまった。寄り添う勇気がなかった。人間関係ではとても不器用な中学生だった。今もそうだけど。

3年生の受験シーズンになってからは、わたしは吹奏楽部のマーチングと定期演奏会の豪華さで有名な中高一貫校に行きたくて、推薦入試の面接の練習をした。高知はある私立高校がいちばん頭が良くてそこを目指せと言われたけれど、同じ私学なら偏差値では劣るけれども吹奏楽が盛んなそちらが良いとわがままを言った。

入試は4、5人の集団面接だった。あとからわかったことだが、その高校を受ける編入生は年々減っていて売り手市場みたいなもので、わたしたちはほとんど全員が受かっていた。茶番じゃねえか。

家族関係では、中1のときにわたしには姉がいるということを知った。いつも遊んでくれるお姉さんが種違いの実の姉だということに驚いた。その頃から母親に不信感を抱きはじめた。どうして教えてくれなかったのだろうと。母には母のタイミングがあったのだと思うのだけど、それでも突然すぎた。母親も不器用なのかもしれない、わたしたちは似ているのかもしれないと今なら思えるけれど。子供は大人が思っているほど子供じゃない。

 

中学生時代はそんな感じ。次は高校に入ってからかな。続けるかどうかはわからない。