人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

高知に引っ越してからの話

自分史その…何回目だったかな。とりあえず書くことがないので久々にわたしの半生について綴ってみよう。

 

母の地元である高知に夜逃げ同然で来たのが小学4年生の8月頭。そこから二十何日まで、母にとってはおそらく激動であっただろうけれど、わたしにとっては宙ぶらりんのふわふわした毎日が続いた。

今から思えば家を見に行ったりして完全に引っ越すとわかりそうなものだけど、その当時はまったくわからず、夏休み明けには大阪に帰るものだと思っていた。本当に。

あと、引っ越してから、高知の空気や水がめちゃくちゃ綺麗だったからだろう、アトピーがすっかり消えた。そこだけは感動した。

学校で「転校生」という人がよく来るけれど、自分がまさかそれになるとは思いもしなかった。ずっと祖母のうちにいて、のんきに遊んでいた。

それから家が決まって、なぜかそこに家具が運び込まれて、なぜか近所の人と挨拶をして、なぜか子ども会にも行って。ずっと、なぜか、だった。だって自分は大阪の小学校に通っているんだから。

母から「転校」という言葉を聞いた覚えはない。いつの間にか、そこの小学校に2学期から通うことになっていた。

一度だけ前の学校の担任の先生から電話がかかってきて、元気そうでよかった、と言われた。それから、仲良かった友達とは文通を続けた。でも少し時間はあいていた気がする。向こうは休みが明けたらわたしがいないものだから衝撃だったろう。きっと。

高知に引っ越して小学校に通いだしてから、わたしはなぜかちやほやされるようになった。それまではまったくなくて、クラスの中でもカースト下位のほうだったのに。たぶん、転校生というのが珍しかったのだと思う。「大阪弁喋って」とよく言われた。

4年生の終わりごろまでは同級生もわたしのことをよそ者、お客さんとして扱って、わたしも大阪のことが忘れられずに自分はここにいちゃいけないような思いがしていたけれど、5年生に上がったくらいからは自然に振る舞えるようになってきた。友達もできて、一緒に登下校をしたりするようになった。

小学校はだいたいそんな感じ。だんだん反抗的になってきて、体育などはずっと何もせず突っ立っていて先生にめちゃくちゃ怒られて心の中で舌を出したりしていた。

あ、そう、5年生のときにある男子がわたしのことを好きなんだという話を人づてで聞いて、うんうんへーそうなんだぁと思っていたらいつの間にか付き合っていることにされていたことがあった。それからわたしは好きになられることに慎重になっていった。

 

そんなかんじ。次は中学生で、吹奏楽と出会うころ。