人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

はじめて救急車で運ばれた話

11月19日。

その日はクラブの定演リハの日だった。

午前中に通しリハを終えて、パートでごはんに行って、合奏場に帰ると1時。そこからパート練習をして手直しの合奏3時間。考えてみればまあまあハードだった。

2時半ごろ、手直し合奏の1回目の途中から手が震え出した。2回目はとりあえず休もうと合奏場の後ろでうずくまって耐えた。

2回目が終わる頃には体に力が入らず、声もほとんど出なくなっていた。同期が2度ほど声をかけてくれたが、蚊の鳴くような声しか出ずコミュニケーションを諦めた。

1日のスケジュールが終わっても屍と化していた。夕方やっと少しずつ体が動くようになってきて、起き上がり、水と薬を飲み、あたりを見回す、というそれぞれの行為を10分くらいずつかけて行った。

帰らなければ、と思った。早く帰れとその場のすべての人から言われているような気がした。側にあった荷物を掴んで合奏場を出た。

楽器置き場に行くより楽器を持って帰ったほうが消費エネルギーが少ないと咄嗟に思った。楽器置き場に向かう道に人がたくさんいたこともそう思った理由のひとつだった。約700m歩けば家なので、行けないはずはなかった。

だが、大学をちょうど横切るかたちになる道筋の3分の1ほどで、体力と気力が同時に限界を知らせた。もしかするとどちらかが先に尽きていて、残りのほうでなんとかもっていたのかもしれない。

楽器と荷物を置いて、地面に座って、同期であるパートナーにLINEで助けを求めた。既に泣いていた。体の中で鳴らされる警鐘と情けなさと不安でパニックになっていた。

パートナーが駆けつけてくれるまでの10分ほどが死ぬほど長く感じた。手足が氷よりも冷たいのではないかと思うほど冷えていった。矛盾するようだがもう誰でもいいから助けてくれ、楽にしてくれ、という気持ちだった。

自転車で彼が来てくれたとわかった瞬間に最後の砦が瓦解した。謝りながら泣きついたような気がする。

そこから先はあまり覚えていない。過呼吸を起こして泣きじゃくって謝り続けて、最終的に救急車を呼ばれた。誰か他の人も来ていたようだけれど誰かはわからなかった。

救急車の中ではずっと天井を見ていた。青い布か袋みたいなものが天井棚に置いてあった。なんとなく脈を測られているなあと感じていた。

病院に運ばれる頃には落ち着いていたけれど、念のためとベッドに寝かされて楽になったら出てこいと言われた。パートナーが来てくれた。良かったと泣いてくれた。申し訳ないと感じた。先輩も来てくださった。

タクシーで帰ることになった。お金を払った。痛い出費だった。先輩が慰めてくださった。聞けば、自転車で学校から遠い駅まで行き、そこから病院最寄りまで電車で来てそこから徒歩で病院までいらしたらしい。なんとまあ恵まれた人間関係を持ったものだと思う。

帰った。すぐ寝てしまった。パートナーが朝まで一緒にいてくれた。

後日、自転車で計算し直された医療費を払い戻されに行くのと母親から電話がかかってきたのが面倒臭かったので、今度もし救急車を呼ばれることがあろうとも病院まで連れて行ってもらうのはやめようと思った。おしまい。

まあ救急車なんかお世話にならないほうがもちろんいいんだけど。過呼吸の起こしかたが高校時代を思い起こさせて個人的にはつらいものがあった。というか家の中で起こしたとはいえここまで酷くてもほっといた母っていったい。

ともあれ、無事に運ばれて(?)無事に戻ってきました。ご報告。おしまい。

 

ちなみにこれを書いているこの時期はもう定演は終わっていて別のことに精一杯だったりする。またそのことについても書こうかな。それではそんな感じで。