終わったという話
終わった。幹部が終わった。
ものすごく疲れた。しんどかった。
わたしはひそかに、この定演を伝説にしてやろうと思って色々やってきた。
おもに広報としての仕事。色々な演奏会にチラシ挟みに行ったり、ホールの周りに営業に行ったり、ホームページのデザインを刷新したり、新たな試みをたくさん考えたり。絶対に歴史に残るものにしてやろうと、そのためには何でもしてやろうと思って、実際にやってきた。
当日、客席を見に行っていた出演OBさんから、受付がきりきり舞いで回っていないほどお客さん来てるよ、と言われて。舞台袖に行ったとき、客席のざわめきがこれまでの2年より格段に大きくて。
そして、演奏も最後までやり切れたとき。
やってやったと思った。
きっとこの定演は伝説になる。願望かもしれないけれど、でも。信じたい。
今回の定演にははじめて父も来ていたようで。舞台から見えた客席の中ほどに座る父は、やはり老け込んで見えた。アンケート出してくれたのだろうか。どう思ったのだろうか。
もう会いたくはないけれど、感想を聞いてみたい気もする。
やりきって落ちるかなあと思ったんだけれど、いまのところ体の疲れのほうが勝っていて気持ちはそんなには落ちてない。今から落ちるのかもしれないけど。
ただただ、しんどかったなあと思うばかりである。必要以上には出さないように、しんどいとこぼさないようにやってきたつもりだから、今しんどかったが溢れている。口を開けばしんどかったなあ、引継ぎで1年を振り返ればますますしんどかったなあ、みたいな。過去形。
でも、やりきれてよかった。反省点はいろいろあるけど、悔いはない。本番は楽しかったし。
これからはまあ、ゆるゆるとやっていけたらなと思う。重荷をほとんど外して、軽くなった体で。次はクラブのクリスマスイベントで、その次はアイドルのリリイベだ。楽しみ。
3年連続ざっつおーる
あまりにもしんどいのでまたぞろ内科のお世話になった。
点滴ックス
20分
ゆっくり休みたいけれど休み方がわからない。
寝ていても眠れた気はしない。
仕事をしなきゃならない。
キャパオーバーであるのかただ季節の変わり目のいつものやつなのか。いつものやつに一票。
自律神経ちゃんと自律してくれ。クソが。
毎日点滴を受けながら生活したい。それはもう入院であるな。
高知に引っ越してからの話
自分史その…何回目だったかな。とりあえず書くことがないので久々にわたしの半生について綴ってみよう。
母の地元である高知に夜逃げ同然で来たのが小学4年生の8月頭。そこから二十何日まで、母にとってはおそらく激動であっただろうけれど、わたしにとっては宙ぶらりんのふわふわした毎日が続いた。
今から思えば家を見に行ったりして完全に引っ越すとわかりそうなものだけど、その当時はまったくわからず、夏休み明けには大阪に帰るものだと思っていた。本当に。
あと、引っ越してから、高知の空気や水がめちゃくちゃ綺麗だったからだろう、アトピーがすっかり消えた。そこだけは感動した。
学校で「転校生」という人がよく来るけれど、自分がまさかそれになるとは思いもしなかった。ずっと祖母のうちにいて、のんきに遊んでいた。
それから家が決まって、なぜかそこに家具が運び込まれて、なぜか近所の人と挨拶をして、なぜか子ども会にも行って。ずっと、なぜか、だった。だって自分は大阪の小学校に通っているんだから。
母から「転校」という言葉を聞いた覚えはない。いつの間にか、そこの小学校に2学期から通うことになっていた。
一度だけ前の学校の担任の先生から電話がかかってきて、元気そうでよかった、と言われた。それから、仲良かった友達とは文通を続けた。でも少し時間はあいていた気がする。向こうは休みが明けたらわたしがいないものだから衝撃だったろう。きっと。
高知に引っ越して小学校に通いだしてから、わたしはなぜかちやほやされるようになった。それまではまったくなくて、クラスの中でもカースト下位のほうだったのに。たぶん、転校生というのが珍しかったのだと思う。「大阪弁喋って」とよく言われた。
4年生の終わりごろまでは同級生もわたしのことをよそ者、お客さんとして扱って、わたしも大阪のことが忘れられずに自分はここにいちゃいけないような思いがしていたけれど、5年生に上がったくらいからは自然に振る舞えるようになってきた。友達もできて、一緒に登下校をしたりするようになった。
小学校はだいたいそんな感じ。だんだん反抗的になってきて、体育などはずっと何もせず突っ立っていて先生にめちゃくちゃ怒られて心の中で舌を出したりしていた。
あ、そう、5年生のときにある男子がわたしのことを好きなんだという話を人づてで聞いて、うんうんへーそうなんだぁと思っていたらいつの間にか付き合っていることにされていたことがあった。それからわたしは好きになられることに慎重になっていった。
そんなかんじ。次は中学生で、吹奏楽と出会うころ。
メイクの話
わたしは人のメイク道具とかのツイートを見るのが好きだ。どんなのを使ってるのか、とても気になる。
ので、自分も開陳してみようと思った。それだけ。
まだ集めている最中なので、欲しいものもたくさんあるけれど、それも含めてご紹介しよう。
●スキンケア●
使っているもの… 洗顔料、メイク落とし、化粧水、乳液。
洗顔料はジプシーしている。濃密な泡で、しかも肌が荒れない、というのをずっと探しているのだけれど、いまだによいのが見つからない。
メイク落とし、化粧水はこれで安定。デュプレールがわたしの肌には合っているみたいだ。
あとめんどくさいとき用にアベンヌウォーターもある。
乳液もジプシー中。ミノンなう。安くて荒れないと言われているちふれも無印も微妙にわたしには合わなかった。使えることは使えた。クリームよりも乳液がわたしは好き。
右端にちらっと写っているのはディセンシアのサンプル。アトピー肌によいと聞いてトライアルセット買ってみたんだけどいまいちわからなかった。
欲しいもの…ブースター。バリアリペアのプライマルブースターが欲しいと半年くらいずっと思っているんだけど、いまだに買えていない。
Amazonのリンクでかいな。貼るのやめよう。
●ベースメイク●
ぶっちゃけどこまでがベースなのかいまいちわかってないので間違ってたらすいません。
【下地】ミノンのブライトアップベース。肌に優しいといわれている。わたしもそんなに荒れない。安定だとおもう。
【ファンデ】ミシャのクッション、セザンヌのリキッド?クリーム?、セザンヌのパウダーの3つで安定。
アトピーにはパウダーがいいと聞いてずっとパウダーを使ってたんだけれど、リキッドに手を出したらなんかそこまでメイクしないのに増えてしまった。ちょっとまってね、正式名称を調べます。
調べてきました。
ミシャ…M クッションファンデーション モイスチャー No.21(明るいほう)
セザンヌのリキッド…クリーミィファンデーション 10(明るいオークル系)
セザンヌのパウダー…UVファンデーション EXプレミアム EX2.ライトオークル
【コンシーラー】セザンヌのハイライトコンシーラー クリアベージュってやつ。クマなんかも薄くて幸いあんまり隠すものがないので、ハイライト効果もあるこれを使っている。
【ハイライト】キャンメイクのクリームハイライター01。特にこだわりはないけど使いやすいしちっちゃくてかわいい。
と、エクセルのシャイニーパウダーのSN01シルバーピンク。買ったばっかりでまだ使ってない。
【シェーディング】セザンヌのミックスカラーチークの20番。これは自慢なんだけどわたしは顔がわりと小さめなので、シェーディングはノーズシャドウしか入れない。のでもしかしたらこれ売るかも。
【チーク】わたしはここでチークも入れてしまう。なんとなく血色がよいほうがメイクが楽しい気がする。使っているのはセザンヌとキャンメイクのパウダーチーク2つのみ。セザンヌ シルクタッチチークの02コーラル系と、キャンメイク パウダーチークスのPW39。
キャンメイクのクリームチークと、欲を言えばケイトの3Dチークが欲しいなあ。
【フェイスパウダー】で、だいたいチークを入れすぎてしまうので、パウダーの登場である。キャンメイクのマシュマロフィニッシュパウダーML マットライトオークルの一強。面倒くさいときは、下地もファンデもコンシーラーもサボってパウダーだけはたくときもある。そのときはチークはあと。
まあなんだ、デパコスが買えればエレガンスのラプードルが欲しいんだけど、まあ無理ってか手は出ないし、そんなにメイクしないのに宝の持ち腐れになる気がするので買わない。
●メイクアップ●
さあ顔を作りましょう。いうてがっつり変わるほどはしないけど。
【眉】ケイトのペンシル(ラスティングデザインアイブロウW BR-3)があと数回で使い終わってしまうので新しいのを買った。エクセルのパウダー&ペンシルアイブロウEX PD02。パウダーはケイトのにも付いてたんだけど、それに加えてうしろにブラシが付いてるのが魅力的。
眉マスカラは安定のヘビーローテーション。アッシュベージュ。
ケイトのデザイニングアイブロウが欲しい〜〜〜!!いまいちばん欲しいコスメかもしれない。
【アイシャドウ】持ってるのは4つ。最初にメイク道具を揃えたときにフォロワーさんにプレゼントしていただいたキャンメイクのジューシーピュアアイズの06番と、セザンヌのトーンアップアイシャドウ02のローズブラウンと06のオレンジカシスの2つ。それからついこの間買った、リンメルのショコラスウィートアイズの009番!チョコの香りがわくわくしますね。
【涙袋】ケイトのブラウンシェードメイカーBR-2。これでアイラインとかダブルラインを書くことはほとんどなくて、涙袋を書きます。明るいほうのパウダーが目の下のキラキラつくるのにほんとにちょうどよい。
【アイライン】持ってるのはメイベリンのハイパーシャープライナー、BR-1ナチュラルブラウンとBU-1バーガンディのふたつだけど、ほとんどバーガンディしか使わない。使い勝手のよさがパない。演奏会のときなんかの、舞台等用がっつりメイクではブラウンを使う。
落ちやすいイメージがあってペンシルとかジェルライナーは使ってなかったんだけれど、評判を聞いてキャンメイクのクリーミータッチライナーかデジャヴュのやつが欲しくなっている。リキッドはまーーあ何回やっても絶対どこかしら失敗するしね。
【マスカラ】デジャヴュのウルトラロング ブラウン(優しい茶色ってやつ)しか使っていない。ヒロインメイクをずっと使ってたんだけど、なぜか合わなかったみたいでいつもパンダになっていた。やっと原因をつきとめて、デジャヴュに変えたら全然パンダにならなくなった。なんでかしらね。
これも欲を言えばメイベリンとかにも挑戦してみたいけれど、別に困ってないしこのままでもいいような気もする。もっと伸びるのがあれば欲しいけど、そこまでの道のりが長くて。
【リップ】やっぱ多いよねーー。列挙すると、キャンメイクのステイオンバームルージュ02と05、同じくキャンメイクのキャンディラップリップの03番、ちふれ口紅の212、416、578。セザンヌのラスティングリップカラーNの501、同じくセザンヌのラスティンググロスリップの…品番が書いてねえこれ。シャインリッチ オールインワンティントの04番、なんかの雑誌の付録だったエモダのオレンジグロス。
バームとグロスで分けたろとか思ったけどシャインリッチなんかはin6とか書いてて口紅なんだかグロスなんだかわからん。最近のはすごい。
可愛くコーラルピンクにしたいときはピンクのキャンメイクの上にキャンメイクグロス。オレンジメイクのときはちふれ416orセザンヌにエモダ。がっつり赤!にしたいときはちふれ578を塗っといてティッシュオフしてから、セザンヌのグロスリップ(わたしの思うがっつり赤!にはならないんだけど、人から今日リップ真っ赤だね!と言われるのでこれ)。
青みピンクと大人っぽいちょっとブラウンみのある色がないので欲しいなと思っている。ちょうど秋にもなるので秋冬っぽいのが出るのではとわくわく。
落ちないティントも欲しいな。オペラの花嫁リップってどうなんだろうか。荒れないものとなると難しくなってくると思われるのでいろいろ試すしかないのかなあ、と思うなど。
おわり!こんな感じ!書くの楽しかった!
ちなみに、いつもは眼鏡。眼鏡でメイクするときはチークちょい広めにしたりレンズに付かないように(もともとカールぎみなんだけど)睫毛をビューラーでもっとめっちゃ上げたりします。
眼鏡を外してカラコンを入れるときもあります。そのときはふつうにやる。というかコンタクトのほうがメイクするときよく見えるしかわいくなるよねやはり。
たまーにアイプチもします。クリアアイトーク使ってます。でも下手くそなのですぐに取れる。
あと、体用のコスメがひとつだけある。傷跡隠し用の、ケイトのスティックコンシーラー。でもたまにしか使わない。だいたい服か腕時計で隠れちゃうし。
そーんな感じ。みなさんのもよかったら教えてください。
死なないためにわたしがしたこと
「あれ」から、2ヶ月が経った。
気分の上がり下がりは-100〜+5から、-30〜+5程度に落ち着いた。それでもやる前は下が-10くらいだったわけだから、かなり気分の落ち込みが激しいときもある。
皮膚を切ったときに、これを水に浸けた、あの色をもう一度見たいなと思ってしまったことがある。そのときはさすがにやばいなと思って薬を飲んで寝逃げした。
そんな感じで、一度死ねる勇気を持ってしまったわたしは、死のハードルは思ったより低く超えようと思えば超えられることを知ってしまったわたしは、あちら側に引き込まれそうになることがまだたまにある。これでも減ったほうだ。入院から1、2週間は2日に1回は自殺企図をしていた。
また、変わったことがもう一つある。死ぬことを前提に生きるようになった。というか、いつもこころの奥底には「死にたい」があって、その大きさはいつも変わらないけれど、それを覆い隠す、おもにプラスの感情が消失したときにふっと顔を表す。
普通に、自分が怖いと思った。だから、他の人の手を借りることにした。箇条書きにして書き出してみる。
- まず、退院した直後にパートナーに電話をかけて、「定演が終わるとわたしは死にに行くと思うから、帰る暇も与えずすぐに病院に連れて行って欲しい」という旨を伝えた。バーンアウトしてしまうことは目に見えているから。
- このブログをたくさんの人に見てもらうことにした。盲目的愛情のフォロワーさんだけでなく、信頼できるリアルの知り合いにも。わたしはキャパが小さいので、自分の人生ひとりで背負うのには重すぎたから少しずつ小分けにして持ってもらうことにした。自分の人生なのに重すぎるってどういうことだよって感じだけれど。
- パートナーと、あるいは他の友人・先輩と、遊びに行く約束をいくつかした。12月だったり2月だったり、来年の春だったり夏だったり。ここまでは生きようと、頑張ろうと思えるように。
- 学校のカウンセリングを再開した。カウンセラーさんはとっても心配してくれて、病院にまで電話をかけて報告をしてくれた。
こんなふうに、自分が死なないための方策をいくつか立てた。まあ、それでも死ぬときは死ぬと思う。でもいまがそのときじゃない、と思える日が増えるように。
あと、いざ死んだときにこうやって色々やってたんだということを残しておくと死後責められない気がする。死後のことなんて知る由もないんだけど、もしかしたら周りに悔しい思いをする人がいるかもしれないから。ちゃんとわたしはまわりに助けを求めていて、まわりもそれに応えてくれていたということはこうして残しておきたいのだ。
死は怖くないままだけれど。頑張れるだけ頑張ってみたい。
逃げることはすごいという話
退職したのでまあ笑って聞いてくれや|仁淀の航跡 @Niirop9000|note(ノート) https://note.mu/hiirop4439/n/n5769eb8ab051
ふたつ上の先輩にあたるひとのnote。文章力がすごいので読んでみたらよいと思う。
ここからは私信なので読まなくても大丈夫です。長くなっちゃった文を公開する場所がここしかなかった。
@Niirop9000さん。
二番煎じの感想失礼いたします。(「二番煎じ」という言葉を思い出すのに10分ぐらいかかった)
「海辺の山あい」という単語に(わかる…よくある…)となり笑うなど。
それは置いておきまして、端的に言いますとものすごくわかりみが深く、そしてほっといたしました。
わたしは障害の代わりに(?)病気というそれなりに厄介なものを持っているのですが、日々の「人よりできないのちょっと無理若干しんどい」が重なって重なって、特になーんにもきっかけのような事がないのに崩壊してしまうことがほんとうによくわかるのです。
きっかけは本当に些細なことで、あれ? こんなことで? と思うのかもしれない。けれど、積み上がって積み上がって今にも崩れそうな「しんどい」が、ちょんっとつついただけで倒壊してしまっただけのことで。
わたしは先輩の決断を大いに尊敬しますし先輩ではありますが安心いたしました。このままいけば新たな「無理しんどい」が生じていたかもしれない、その前に、決定的に壊れてしまう前にきちんと逃げることができた。
逃げだけど逃げじゃない、生存戦略として立派に成り立つものです。ほんとうにすごい。
このnoteはのちへのロールモデルとなると思います。この方がこう言ってるんだからここで頑張ることをやめてしまっていいんだ! それでも生きているからよいのだ! そう思うことができると思います。
いまはとりあえず休んで、エネルギーがまた充填されたら、今までよりも楽なところを見つけて動き始めれば、それでよいと思います。はたらくだけでえらいのにちゃんとした社員登用だなんてもっとえらかったのだから、えらさメーター振り切ってえらさポイントめっちゃ貯まってますよきっと。そのポイントぶん休めると思います。またエネルギーがもどってくるまで。
お疲れさまです。またカラオケ行けたらいいなー。(マジの私信になってしまった)
あのときの話
未遂から1ヶ月が経とうとしている。
だいたい落ち着いてきたので、あのときどう思っていたのか、今なにを思っているのか、それを整理してみたいと思う。
あのときのトリガーは過食嘔吐だったと思う。
もともと嘔吐恐怖があったのに吐いて、身も心もボロボロになって、疲れていて自棄になっていた。深い絶望よりも、かるい絶望のほうがフットワークが軽いので自殺に走りやすいのだなと思った。うつの治りかけの人や躁状態の人が自殺しやすいのはこういうことか、と身をもって知った。
そのときの心情は、「あ、今なら死ねるんじゃね」という感じ。さっきも言ったけれど、とっても軽い。だから怖い。
救急車を呼んで、運ばれて入院をして。パートナーが帰省先からわざわざ帰ってきてくれて、わたしが病院にいるあいだに血塗れの洗面所の掃除をしてくれた。心底存在をありがたく思った。「血だらけで気持ち悪くなかった?」と訊いたら「経験したことなかったから(当たり前だ)びっくりしたけど気持ち悪くはなかったよ」とのこと。なんだよ菩薩かよ。洗面所だけじゃなくて部屋の片付けもしてくれた。マジで菩薩かよ。
それから次の日に、母が来て。母はわたしの腕の切創や自傷跡を見て「なにそれいつからそんなことしてたの」と言っただけで、深いことは何も聞いてこなかった。逆にありがたい。
退院のときも母と一緒に帰って、それから一日おきくらいに訪問されるようになった。ちょうど大叔父の葬式と被ったので長く滞在していた、というのもあって、それから3週間ほど訪問されたりされなかったりの日々が続いた。家事をしてすぐ帰らせたので家政婦さんみたいで便利であった。
そのあいだ、気分は激しい乱高下を続けた。もう絶対しない、という気持ちだったのに、その1時間後には死にたい死にたい死にたい、と喚きながら太ももをカッターで切っていた。
自殺未遂をしたことでなにかのタガが外れたようで、−10〜+10くらいだった気分の振れ幅が、−100〜+5くらいになった。薬を多めに飲まないとやっていられないくらいにボロボロになってしまった。直後の数週間はうさぎの世話もできなかったので、すべて母に任せていた。
といっても今は落ち着いて、パートナーに頼りながら、友人と支え合いながら、なんとか過ごしている。
これから先同じことをしないように、パートナーと約束をした。メンヘラ.jpのこの記事(https://menhera.jp/2118)を参考にした。
わたしはいま、マンドリンクラブを糧に生きている。11月の定期演奏会に向けて必死で頑張っている。
それが終わったときどうなるか、わからないけれどなんとなく想像はつく。もう生きる意味なんてない、と思うだろう。
だから、定期演奏会が終わったらすぐに引き摺ってでも病院に連れて行ってくれ、とパートナーに頼んだ。また、12月よりあとの予定も入れることで強制的に生きるように仕組んだ。
それから、髪を染めようと決心した。マンドリンはステージマナーが厳しいので、派手な髪色にできない。だから舞台から降りたら派手な色にしてやろうと決めた。
これで、強制的に死なないようにする。
どうして救急車を呼んだのだろう、と考えることがある。死ぬのなら、Twitterなんかに書き込まずにひっそり死ねばよいのに。
わたしの結論として、実験的にやってしまったのかもしれない、と思っている。死なないつもりだったわけじゃないけど、自分が死ぬとなったらどうなるのだろう、という少しの好奇心。この傍迷惑な好奇心のせいで大騒ぎになって、そしてこの好奇心のおかげで死なずに済んだわけだけれど。
たくさんの人が心配してくれた。消えない傷が手首にも過去にもできた。いいことも悪いこともあった。お金もかかった。もう自殺しない、と今は思えている。
それでもいつ落ちるかわからない。怖いけれど、色々な人に頼ってなんとかやっていけたらと思う。