人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

恋愛の話

パートナーができました。

これによりわたしはアロマンティックと名乗ることをやめました。ほぼ1年前のこと。

ほぼ同時にふたりの人物に初恋をした。たぶん。男の人と、女の人。ちなみに両方歳上。だからパンロマと名乗ることにしました。バイでなくパンなのは、その人たちの人柄に恋をしたから。その人が男であろうが女であろうがMtFまたはFtMであろうがXであろうがわたしはそのひとを好きになっていただろうから。

で、そのうちのひとりが今のパートナーさんである。

とても人懐っこくて魅力的なひとで、大型犬を思い起こさせる。わたしを好きだと言ってくれる。それだけでわたしは幸せに思う。

相手はどうだろうといつも思う。わたしはほとんど常に具合が悪くてきっと相手を満足させることができていない。デートであろうがなんであろうが、途中で倒れてしまえばおしまいだ。わたしが調子が悪くてうわの空だったら、相手だっていい気持ちはしない。

わたしは人と交際することに向いていないのかもしれないと思うこともある。

そう思うこと自体が相手に失礼なんじゃないか、となって、余計にぐるぐるぐるぐる考え込んでしまったりもする。

そんな感じですが、それでも相手は自分を好いてくれます。めんどくさいわたしが好きだと言ってくれます。それはもちろん受け入れなきゃなと思う。信じるに足る人物だと思っている。

 

 

うん。違うわ、これが言いたかったんじゃないな。わたしが今のパートナーを信じていることはまあ事実なんだけど、セクシュアリティのはなし。

わたしはずっと人を好きになったことがなかった。成人、二十歳が近づくそのときまで。だから、アロマンティック・アセクシュアルと自認していた。そのほうが生きやすかったから。変わったセクシュアリティであるという自己紹介でわたしは自分の居場所を作り、その肩書きはわたしの自己防衛手段、言い訳の理由、拠りどころとなった。

わたしはそう名乗っていたわたしを「人を好きにならないアロマンティックだった頃のわたし」として自分史に刻みたいと思う。Aロマだったことは嘘ではないのだと。

 

うーん、言いたいことを表すにはどう書けばいいのかわからなくなってきた。ともかく、わたしは過去にアロマンティック・アセクシュアルと名乗っていましたが、今はそうではありません。ひとつの例として、悪い言い方ではなく変わったとしてもAロマであったという過去はあるんだよというモデルとして、ここにひとつ、記しておきます。

だから、そう、だから、もしAセクを名乗るにあたって変わってはいけない、セクシュアリティは固定されていなければならないと思っている人がいるのなら、そうではないと言いたい。仮に未来のあなたが人を好きになったとしても、今のあなたがAセクであるということは変わりないのだと。名乗ることは誰にも邪魔できないのだと。

そーんな感じ。あとでまた追記するかもしれない。今書ける精一杯はこんな感じ。わたしのいまの所感。

お金の話

わたしは働くことができない。少なくとも週五でどこかに勤務することはとうていできない。学校に行くのですら無理だったんだから、できるはずがない。

週四は? 週三? たぶんできない。決まった日にどこかに行くということがわたしにはあらゆる面で苦痛なのである。

この時点で働き口なんてほとんどない。ましてや今の大学生の身分ではまったくと言っていいほどないだろう。

また一方で、わたしにはお金が必要である。生活費、光熱費、クラブ費、云々。

親から月3万+家賃をもらっている。それから、お小遣い稼ぎ程度の小さなバイト。これでどうにか暮らしている。

これから先輩になって後輩に奢ることも増えるだろう。それでなくとも最近はギリギリで親に金をたかることもある。どうすればいいのだろう。

お金がないことはメンヘラを加速させる。お金がないせいで背負う余計な苦しみがある。お金さえあればすべて解決するのに、と思うこともある。

お金をとても必要としているのは(少なくとも多くの)メンヘラなのに、メンヘラが働いたりしてお金を得ることは常人よりも難しい。

世の中はきびしい。

本が読めない話

本が読めない。つらい。

わたしにとって本っていうのはさ、生活の一部だったのよ。ミステリが大好きで、他のジャンルも大好きで、1日1冊は普通で、読むことが日々の楽しみでしたわけですよ。

それが今ではきみ、1ページ読むのに十何分何十分、ひどいときには頭に入って来ないのがつらくて読むのをやめてしまうわけで。実用書ならまだ読めるけど、物語だとほんとうにだめ。

楽しくて読んでいたはずなのにいつのまにか義務になって、苦行になって。

いつも本を持ち歩いていたのに、枕元にはかならず本があったのに、見るのも苦痛になったりして。

趣味が義務に感じられると病んでるって言うけれど、本当にそうだなと思う。

どうしてこんなに読めないのか。つらすぎるでしょ。どうすればいいんだ。わたしは本が読みたいぞ。

MPの話

MP(メンタルパワー)と呼んでいるものがある。よく、「ひとと話すことで回復するMPがある」といわれる。それはわかる。わたしもTwitterがなければ塞ぎ込んでしまうだろうから。

でも、面と向かって話すことでそうでないよりも多く回復するといわれると、うん?となってしまう。

わたしはひとと話すと疲れてしまってむしろMPが削れる傾向にある気がする。気力ややる気は出ることがあっても、癒やされることがない。

誰とも会わない、話さない。わたしはこれが最高級の贅沢だと思う。Twitter上でしか話をしたくない。Twitterも、リプライよりも壁打ちツイートやエアリプのほうが好きだ。

でも、そうではない、Twitterだけじゃ人の声を聞いていないのでしんどい、という人が少なからずいることに驚いている。

そういう方はわたしからすれば明るいなあと、よく頑張れるなあと思ってしまうが、きっとそのひとにとっては頑張らずともできることなのだろう。

わたしは根のいちばん奥、根っこも根っこから根暗なのかもしれない、と思ってしまう。

叔母が無理だった話

帰省したとき、成人式に出た。成人式のあとの同窓会にも出た。

同窓会に来ていく服の上に着るコートを叔母から借りた。叔母は派手な人で、パーティードレスやコートなんかもたくさん持っているので。

その叔母にコートを見繕ってもらっているとき、マフラーを持ってきたかと訊かれた。

ので、わたしのお気に入りを持ってきた、と自分の人間失格マフラーを見せると、めちゃくちゃ笑われた。「タオルを巻いてるみたいよ」と言われた。

ショックだった。ショックだったけど、それを悟られるのが嫌で笑った。そんなことないよって笑った。

それだけ。それだけなんだけど、他のことも色々思い出して無理になった。

そういえば子どもを怒鳴りつける人だったな、とか。芸能人の身体的特徴について笑う人だったな、とか。煙草を吸う人だったな、とか。最後のはただの私怨だけど。

高知に帰ってこないならこっちから行く、と言われたけれども(アクティブな人なのでたぶん実際に来る)やめてくれって感じだ。

とりあえずそろそろ親類と縁を切りたい。無理だけど。

ただの愚痴でしたありがとうござい。

父の話

このあいだ、わたしは名実ともに成人した。そう、成人したのだ。ハタチになって、誰にも保護されない自由の身になった。

というわけで、わたしははじめて父親のことを母に訊いた。今まで何も教えてくれなかったから、とてもとても勇気が要ることだった。

「私の実父について教えて もう成人したんだから知る権利はあるはずでしょう」

そのあと電話をして、ほぼ洗いざらい教えてもらった、と思う。

 

わたしの父は、わたしが生まれるずっと前からコンビニを経営していた。そのコンビニはあまり羽振りがよくなくて、自転車操業でなんとかやっていけているといった具合だった。

わたしが生まれてから、その自転車操業ぐあいはますます加速した。色々なところに借金をし、それがますます父の首を絞めた。

父はほんとうに色々な人にお金を借りていた。銀行、サラ金、友人、妻(わたしの母)の両親。友人には詐欺まがいのことをしてまで借金をしていたようだ。母の両親からは800万。それはいまだに残っている。母が連帯保証人になったもの、母の父(わたしの祖父)が連帯保証人になったもの。ほんとうにたくさん。

それでうまくいくはずもなく、経営はもはや火の車になってしまった。

もう無理、となってから、父はおそらく自分ひとりでたくさんのことを考え、何が最善かを探り、答えを出した。周りの人にそれを伝えたのは、わたしたち母娘が夜逃げ同然で引っ越すわずか2日前だったそうだ。

そこからはほんとうにバタバタした。わたしたち母娘は引っ越しの準備をし、父は自己破産の手続きをしてから、友人に対する詐欺を告白するためみずから警察に出向いていった。

高知に引っ越したあとも、母には肩代わりした借金が残っていた。クレジットカードが作れなかったのも、自己破産をしたから。細々と暮らしをしていたのも本当にお金がなかったのだろう。祖父母は800万の借金をもういいと言ってくれた代わりに、わたしの成長を見守らせて、お金を出させてほしいそうだ。

父と離れてから、母はしばらく父の居所である山口県と文通を続けていた。中学生くらいで、ちらっとその住所を見たことがあった。刑務所の付近だった。わたしはその時点で父が何かしたのではないかと思い始めていたので、今回の話はなんら意外ではなかった。

そこを出て大阪に戻るとき、父には身元引受人がいなかった。父の両親は他界していたし、唯一の肉親である弟には引受を拒否されていた。よって、そういった人の支援をするNPOに身元を引き受けてもらったそうだ。

NPOの手を借りて就労し、ある程度お金が貯まったところで家を借りて住み始めた。今は、誰でも雇ってくれるような安い給料のパートではあるが就職して頑張って働いているという。母はたまに会っていたそうだが、かなり老け込んでしまったと言っていた。

 

わたしが会うも合わないも自由だ、と言われた。考えてみたけれど、一度時間があるときに手紙を出してみようかと思う。

この記事→転換期の話・そして父の話 - 人影のない冷い椅子はの真相はこれでわかった。

 

そして、わたしのこと。両親がこんなお金の状態なので、わたしを育てるお金などあるはずがなかった。

ゆえに、祖父母、母の再婚相手、色々なところからお金を出してもらって今のわたしがある。これを返済し切るまで、わたしはこの家系からは離れられない。

HSPを名乗ることの話

あけましておめでとうございます。2017年もわたしは生きていました。今年も生きられるならば生きてみたいと思います。

 

 

さて、今日の話はあるパーソナリティを表すアルファベット3文字について。

 

Highly Sensitive Person。略してHSP

感受性や感情共感が強すぎたり、感覚が鋭かったりする。詳しくはリンク先で見てみたらよくわかるかもしれない。【HSP】敏感、繊細、感受性が強い人へ。診断や活かした生き方と出来る仕事 | メンタルてんきよほー

わたしがこの言葉を知ったのはいつだろうか、少なくとも高校時代には知っていた気がする。最近わりと注目されるようになって、こんな本も出たので買ってみた。

 

コミックエッセイ 敏感過ぎる自分に困っています

コミックエッセイ 敏感過ぎる自分に困っています

 

自分でも当てはまることが多くてやっぱりそうなのだなと思いながら読んだり、わたしはそこまでじゃないなと思いながら読んだりしたんだけれども、ただひとつ、この本を読んでいる最中にはっと気づいたことがある。

わたしはHSPということばを知って以来、ずっとこれを名乗っていいのだろうかと迷って悩んでいた。

けれども、迷うことなんてなかった。これはセクシャリティと同じだ。要するに、個人のアイデンティティなんだ。病気ではなく性格のひとつなのだから、自分がそうだと思うなら自由に受け入れて、名乗ってよいのだと思う。逆に、もしこれに当てはまっても自分がそれを名乗ることで不都合やいやなことがあるなら名乗らなくてよいのだ。

いちパーソナリティという性質だから、そういうことが成り立つんだと思う。誰にも介入させることはできないことであると思う。

わたしはこれを受け入れた上で、HSP的性格を活かせるような生き方をしていきたいと、いまは思っている。

 

 

 

人と接するのがつらい―人間関係の自我心理学 (文春新書 (074))

人と接するのがつらい―人間関係の自我心理学 (文春新書 (074))

 

 

 

 

というわけで、HSPのおはなしでした。今年もどうぞよろしく。