福岡と東京のライブを回した話
2019年9月22日。わたしは福岡にいた。
2019年9月23日。わたしは東京にいる。
ギルド福岡7周年ライブ at Buddy up!。
最前で見れた。ただただ楽しかった。言いたいことがあるんだよ!が言えた。知っているアニソンから知らないアニソンまで全部沸けたのでよかった。はじめて生でミライクエストを聴いてボロ泣きした。
チェキタイムではいろんなキャストさんに浮気しつつ、らむりんさんにプロポーズした(お揃いの指輪をプレゼントした)。ボロボロ泣くわたしを慰めてくれた。また絶対会おうねと言ってくれた。
個人的にはヲタ卒したヲタクさんが出戻りしてきてくださったのが嬉しかった。たくさんのヲタクさんとお話できてそれもとっても嬉しかった。
さあ、楽しい時間は終わり、夜行バスに乗って大阪へ戻る。新大阪から品川へ。
CYNHNちゃんの2ndワンマン、Pray for Blue at 品川インターシティホール。
新幹線の時間がギリギリで、ほんとに最後のほうに物販が買えた。よかった。
本当は演じまスウィーニー上映会から観る予定だったんだけれど、ホテルに入るとめまいが止まらなくなったので泣く泣く諦めてワンマンライブから参加した。
3列目ドセンとかいう良席で見れた。視覚的な映像をふんだんに使ったライブで、最初からぶち上がる曲を入れてくるのが上がった。何かひとつ言及するなら奏音ちゃんの「声出せよ♡」が殺人級にかわいかった。
ライブ全体の印象としては、綺麗にまとまったなぁという感じ。本当はもっと全力でエモさの限界を超えて泣かせに来てほしかった。それにはやっぱりひとり足りなかった。綾瀬志希さんの復帰を心から待っている。最初の綾瀬さん演出でもタキサイキアでもいないことを実感して泣いた。ずっと待っているから。
これから大阪へ帰る。2日で2ライブ回せたのは本当に疲れたけれど本当に楽しかった。
ギルドもギルドールも、5人のCYNHNも6人のCYNHNも永遠に応援し続けるから。遠征だっていくらでもするから。いつまでもいると思うな推しと推し。だからずっとずっと、楽しませてほしい。わたしの心の拠り所だから。今回も本気で楽しませてくれてありがとう。
存在に、ありがとう。
大阪に帰ります。次は11月のCYNHNちゃんと1月のあいちゅんさん。楽しみにしている。
またしんどいなあという話
ある同期にこのブログを読んでもらった。予想以上に真剣に受け止めて向き合ってくれて、LINEで長文の感想をくれた。生きていることへの感謝。その人の前でも泣きそうになったけど、返ってきたLINEでまた泣いた。
という導入は関係なく。
部活で4回生になって、楽になると思っていた。でも、鬱はそうさせてくれないようだ。秋口にはいつも具合が悪くなる。
定演では1部がサブトップ不在予定になり、すべての部で目立つ前列に座ることになった。楽器を頑張らなければならない。
定演ポスターやチラシ作りを任された。公報の後輩とやりとりしながら必死になって作っている。
まだ死ねない、まだ死ねない、と思いながら日々を過ごしている。
やる気はあるのに、体が動かない日が続いている。ずっと煙草を吸いながらYouTubeを見て、寝て、起きて絶望して。
4回生になったら重荷がなくなって楽になると思っていた。そんなことなかった。
頼られることはとても嬉しい。嬉しいのに体が動かない。とても苦しい。トテモクルシイ、くらいしか言えないくらいの語彙力の低下。
救いは後輩や同期がわたしを受け入れてくれていること、頼ってくれるぶん頼らせてもらっていること、パートナーとの関係が良好なこと、アイドルちゃんたちのライブの予定があること。
楽しみを糧に、生きなければならない。体さえ動けば。体さえ。
あれから1年経ったねという話
自殺未遂から1年が経った。
いまだから書ける、あのときのこと。
まずは部活。
3回生で、幹部だった。5年に一度のOBさん合同演奏会の準備真っ只中。OBさんと連絡を取りつつ、自分の回生を、そして合奏を、まとめようと必死になっていた時期。まとまらない自分たち。うまくいかない合奏。このままじゃダメだと焦って空回りするばかりの気持ち。
そんな背景があって。そして。
2018年4月。フォロワーさんが亡くなった。おそらく自死。
2018年5月〜6月。友人が3人、別々のところで、自殺未遂をした。
2018年7月。
過食が増えていた。と同時に、拒食にもなっていた。部活がある日は食べず、ない日は山のように食べる。
そのうち、食べたものを吐くようになった。自分の意思ではなく、胃がびっくりして吐き気が止まらなくて。
2018年7月11日〜12日未明。
その日のトリガーも過食嘔吐だった。自然には吐けないから、割り箸を使って泣きながら吐いた。
身体も、精神も、疲れきっていた。いまの(当時の)わたしなら死ねる、そう思った。
そのあとは前に書いたとおり。
入院が終わって気分の乱高下がおさまってきて幹部時代を死にものぐるいで終わらせたあとは、緩やかに上昇をしてきて、翌春(2019年)には軽躁状態とも言えるほど調子がよくなった。
最近はまた暑くなって、少ししにたいなぁと思うことは増えたけれど、あのときほど追い込まれていないので未遂には至らない。
もう二度としないとは確実には言えないけれど、逃げ道をいくつか用意したわたしは少し強くなった。
いまなら、しにたいと思っても実行に移さないくらいには大丈夫なんじゃないかな。そう思える。
きっと大丈夫。そう自己暗示をかけながら、きょうも生きている。
わたしのまわりの人の話
わたしはメンヘラをほぼオープンにして日々を生きている。そうしないと生きていけないから。
大学に入ってから、まわりの人が次々とメンタルの調子を崩すようになった。
自殺未遂をしたひとも数人いて、本当にたくさんの調子を崩した人を見てきた。
それをずっと見てきて、わたしはこの考えに辿り着いた。
「わたしのせいなのではないか?」
「わたしがいるから、呪いのように周りにも伝染してしまうのではないか?」
最近はもっと進化して、
「わたしがこんなにオープンにメンヘラをやっているから、周りにも暗い雰囲気が、気持ちが伝染して、畢竟まわりの調子も崩してしまうのではないか」
という考えに至った。
それを思いついてしまったら、非科学的だとわかっていてもメンヘラさんのツイートを見るたびいつもこう考えてしまう。
自分の生き方を変えるつもりはないし変えられるとも思わないんだけれども、周りに影響をもし与えてしまっていたら本当に申し訳ないと思う。死んでしまいたくなる日もある。薬を多めに飲まないとやってられない日も。
ちゃんと考えがポジティブになれるタイミングでは、そんなことはない、自分のせいではないと思えるのだけれど。
こればかりは、性格なのか、病気のせいなのか、止められない思考回路。
もう寝て忘れてしまおう。また明日。
福岡のアイドルちゃんに会ってきた話
6月22日正午。わたしは博多行きの新幹線こだまの中にいた。福岡のアイドル、ギルドールちゃんの一員、天音らむさんの生誕祭に行くために。
話は5月に遡る。
あるフォロワーさんがギルドールちゃんのヲタクであることは知っていた。
あるツイキャスで、そのフォロワーさんとコラボをさせていただいたときにたくさんの画像を見せてもらって、また、一緒に遊んだときにたくさん魅力を聞かせてもらって、この天音らむさんという方(以下らむりんさん)かわいいな?と思うようになった。画像載せときますね。
Twitterをフォローして、よく見るようになった。たまにらむりんさんはツイキャスもされるので、そこに顔も出してコメントもするようになった。どんどん魅力がわかってきて、声も聞いて、動画も見て、のめり込むようにハマっていった。
そこからは早かった。はじめての生誕祭が行われることを知って、即新幹線とホテルを取り、6月23日の生誕祭に行くことを決めた。
それまでの1ヶ月間、わくわくで夜しか眠れなかった。
からの、冒頭である。
6月22日、生誕祭前日。
福岡に降り立ったわたしは、少し天神をぶらぶらしたあと適当な居酒屋に入り初のひとり居酒屋をキメて、お風呂に入ってはやばやと寝た。
そして迎えた6月23日、当日。朝早く目が覚めて、ホテルで朝ごはんを食べて、気合いを入れてメイクをして髪を巻いた。らむりんさんのメンバーカラーが紫なので、アイシャドウも紫、アイラインも紫、ネックレスもピアスも紫。全身らむりんさん。
12時開始の第一部に間に合うように地下鉄に1駅だけ乗って天神まで行った。
生誕祭が行われるカフェ&バー、福岡ギルドはビルの7階にあって、少し迷ったけれど無事に着くことができた。
まず迎えてくれたのはマネージャーさんと、らむりんさんの相棒であるギルドールのあいちゅんさん。しおぎです、と名乗る前にわかってくださって感動した。Tシャツを手渡してくれた。
店内に入って出迎えてくれたらむりんさんは、わたしと同じくらいの背の高さで、動画や画像で見るよりもさらにかわいくて、何よりわたしを大歓迎してくれて涙目にまでなってて、わたしもつられて泣きそうになった。座って待っているときもわたしのところにちょいちょい来てかまってくれて、なんて優しい子なんだ…と思った。
始まった第一部。ギルドールオリジナル曲がほとんどで知らない曲もあったけど、知ってる曲は全力でコールした。Be Happyとかね。声が小さいから聞こえなかったと思うけど。Future diverめっちゃかわいかった。目の前で推しが歌って踊っていることにひたすら感動していた。
終わったあとは、チェキ会?的なものであった。何しろはじめてなのでわたわたしていたら、ヲタクさんのひとりがわたしにチェキ券をくださった。せっかく来てくれたから、と。とてもありがたかったし感無量だった。ありがたく受け取った券で、バルーンスタンドの前でチェキを撮って、それから2分間のチェキにらむりんさん自ら落書きしてくれる列に並んだ。2分間とかやばいよなおい。そこでもめちゃくちゃ歓迎してくれて会えて嬉しいって言ってくれて、あーもう死んでもいいな(昇天)となった。
第二部まで1時間ほど時間があった。プレゼントをホテルに忘れてきたので取りに帰った。途中でジェラートを食べた。ピスタチオ。うま。
買ったTシャツを着て、第二部に臨んだ。一部はみんな制服だったけれど、二部はみんなTシャツだった。わたしもおそろい。
第二部は最前で見させてもらった。キャストさん(ギルドールちゃん以外の、ギルドで働いている子たち)のステージもあった。もみじさんという子のパフォーマンスがすごく素敵で、うん、素敵だった(語彙力)。あとでちゃっかりチェキも撮ってもらったりした。
何曲かあって、らむりんさんのお色直しの繋ぎのトークがあって。わたしもらむりんさんのお話をさせていただいたりした。
そして、再登場したらむりんさん、の、美しいこと。なんと美しいこと。とっっってもキラキラしていた。ほんとーーーに、輝いていた。結婚式前の新郎の気持ちはこんな感じかあ、と思った。色んな人からのプレゼントのあとの、夜明けbrand new days。泣きっぱなしだった気がする。ひたすらに、ただひたすらにエモかった。綺麗で、絶佳で、格好よくて。
集合写真を撮って、集合動画も撮って、またチェキを撮って、サインとかしてもらって、生誕祭は無事終わった。
とっても、とっても良いステージだった。
大盛況のままバータイムが始まった。わたしは隅っこの席でちまちまとカクテルを飲むことにした。んだけど、らむりんさんやいろんなキャストさんがわたしのところに来てくれて、いっぱい話してくれて、らむりんさんはいっぱいハグしてくれて。バータイムにこんなに接触が多いと思わなかったからびっくりした。
らむりんさんにプレゼントとお手紙を渡した。休足時間と、ロクシタンのギフトセットと、新大阪で買ったご当地ペン。その場で開けてくれて、喜んでくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。
いろんな人がキャストさんとカラオケをしていて、わたしも記念に1曲だけ歌いたくなった。らむりんさんとonly my railgunを歌った。自己満だし、してみたハモリも下手くそだったし、パート分けも失敗しちゃったけどとっても楽しかった。アイドルちゃんと一緒に歌えるなんて思いもしなかったから、本当に楽しかった。目を合わせて歌えたことの嬉しさ。頬にちゅーしてくれたこと。すべてが一生の宝物になった。
0時をまわる少し前に帰ることにした。らむりんさんがわざわざ店の外まで出てきてくれて、見送ってくれた。長い時間別れを惜しんだ。忘れないからねって、見つけてくれてありがとうって、何回も何回も言ってくれた。ブログも読んでくれていて、一緒に生きようねって言ってくれた。たくさんちゅーをもらった。わたしのために泣いてくれた。わたしも泣いた。
エレベーターの中で、寂しさがこみ上げてきて、さらにひとりで泣いた。
アイドルの時間は、限られている。いついなくなってしまうかわからない。
半ば衝動的に決めた福岡遠征だったけれど、後悔は1ミリたりともしていない。推しは推せるうちに推す。それがいちばんで後悔のないことだと、わかっているから。また必ず福岡に行く。いつになるかはわからないけど、らむりんさんがアイドルをしているあいだに。
1ヲタクとして天音らむさんへ。
この世に誕生してくれてありがとう。アイドルをやっている限り、いや、もしアイドルじゃなくなったとしても、ずっとずっと応援しています。生きていこうねって言ってくれたこと、絶対にずっと忘れないです。ありがとう。また会いに行くね。
死なない理由の話
最近調子がいい。(当社比ではある)
それは死なない、死ねない理由がいつの間にかたくさんできたからだと思う。親がどうとかそういうネガティブなものではなく、ちゃんとした(?)理由。こころの拠り所がたくさんできて、安定して立つことができるようになってきた。とても喜ばしいことだと思う。
具体例として、いくつか。
まずは、パートナーとうまくいっていること。まだ1ヶ月だし遠距離だけれど、お家も訪問させていただいたしお互い必要とできている。ありがたいことだなと思う。
第二に、応援する人がたくさんできたこと。ヴォーカルユニットのCYNHNちゃん。それから福岡の天音らむさん。ハロプロの子たち。他にもたくさんのアイドルちゃんたち。YouTuberのPARASTICA。あとは、仲良くなった、また以前から仲の良いフォロワーさんたち。キャスに来てくれる人たち。ほんとうに生きる理由になっている。
それから、仕事が軌道に乗り始めたこと。デザインの道を選んで、フリーで活動をはじめて数ヶ月。コンペにひとつ受かって、伝手でひとつ仕事をいただいて。これからやっていけるかもしれないと思えてきた。
最後に、部活の面々から必要とされていること。後輩・同期と話して色々任せてもらえたり相談してくれたり、チラシやポスターの作成を引き受けたり、写譜を引き受けたり。わたしはもうお役御免だと思っていたから、とっても嬉しい。ありがとう。
まだ、死にたい夜はある。それでも生きていることを選択しているのは、これらの居場所があるからだと思う。
Twitterだけじゃなくて、リアルでもたくさんの人とかかわりを持って、たくさんの絆を感じて、いろんな人に会って、いろんな話をして。それが楽しいと思えるから。
まだ、生きててよかったと思えるときは少ないけれど。でも。
周りの人のために、わたしはこれからも生きようと思えている。心強いひとたちばかりだ。人に恵まれている。すごく助かっている。救われている。ありがとう。これからもどうか、わたしの生きる理由であってくれたら。
恋愛面で環境が変わった話
少し前、氏こと(元)彼氏さまと別れた。
2年2ヶ月であった。まあ長いこと付き合えたもんだ。
幹部時代はお互いなくてはならない存在だった。お互いがお互いに依存していたと思う。幹部が終わり半年が経ち仕事量も格段に減って、それでも幹部時代のウェイトのまま互いに依存しあっていた、ふりをしていた。それが相手にとって重荷になっているともわからず。
そして、話し合いをした結果、友達に戻るのがいまの自分たちには最適解であると結論が出た。
それからは早かった。するっと別れた。
今では親友である。何でも話せる親友。とても円満な関係を築いている。向こうも幸せそうでよかった。わたしのようなメンヘラと付き合っていた時点で不幸だったようなものだからなぁ。
そして、数週間後のいま、また新しい人ができた。これまたすごくいい人である。まあわたしの周りには友人含めいい人しかいなくて逆にすごいと思うけど。
数週間で乗りかえるなんて尻軽だなと思われるかもしれんがなんでも構わん。わたしの人生だからわたしの思うようにやる。
いまわたしは恋愛面では幸せである。それでいいと思う。