人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

クソな家庭家系で育った話

この↓話を読んでからこの記事は読んでもらったほうがわかりやすいかもしれない。

http://mmktkaij.hatenablog.com/entry/2018/01/11/143849

 

わたしはとあるコンビニのオーナー兼店長と副店長の間に生まれた。

そのコンビニはわたしが生まれる前から自転車操業で、周りにお金を借りてやっとわたしはふつうに育つことができた。

やがて店は破産し、わたしと母親は高知県へ引っ越すこととなった。

 

高知県には祖父母、叔母、いとこ、姉3人、姪っ子たちがいた。

その中でわたしはいちばん優秀な孫だった。いとこ兄妹3人は全員父親が違ってお互いに嫌いあっていたし、いちばん上の従兄はヤンキー。2番目と3番目は不登校。対してわたしは県内勉強ひと桁台の優等生。性格もおとなしく、大人と仲良くできる。姪っ子たちはいたってふつうに育っているけれど、祖父母からすれば曾孫で続柄が遠い。

わたしに期待が集中することは明白だった。ずっと、なんなら高知に引っ越す前からずっと、わたしだけに期待が集まっていたとわたしは感じていた。

その期待にわたしは応えた。(学力的には1位行けたけど)県内2位の高校に行ったし、特進クラスに入ったし、部活も頑張った。祖父母に対してもずっといい子でいた。反抗期もなかった。そのせいで、おそらくそのせいで、ずっと溜まってきた不安や不満が爆発して精神病になった。

病気のことも大学を休学したことも中退したことも、祖母に対しては秘密にするよう母親から言われている。期待を裏切ってしまうから。正確には期待を裏切ってしまう、と母親が思っているから。

 

祖父母は恨んではいない。親のことは少し恨んでいる。わたしが生まれる前から火の車だったならどうして子供を作ろうと、産もうと思ったのか。家計が厳しくなることがわからなかったはずはないだろう。
祖父母や知り合いにまでお金を出してもらってわたしを育てるのならわたしは生まれてこないほうが楽だった。
どうして何も決めていないわたしが、お金も期待も返さなきゃ返さなきゃと思いながら生きなければならないのかがわからない。もう2回も未遂をして死ねなかった。3回目も勇気が出なくて死ねなかった。死ねないのならせめて自由に生きたい。

中学生時代の話

何年ぶりかに自分史シリーズのつづき。

 

小学4年の2学期から高知に引っ越したわたしは、そのまま順調に地元の公立校の中学生になった。

友人に連れられて、吹奏楽部の体験に行った。そのまま入部し、フルートを吹き始めた。先輩方から可愛がられて育って、先輩方のいざこざに巻き込まれて死ぬほど泣いた。

マーチング(吹きながら隊列組んで歩くやつ)に挑戦する学校で、面倒くさいなあとみんなで言いながらそれでもわたしは楽しんでやっていた。別の私学に行った友人とも会えたし大会が楽しみでもあった。

勉強面では学年一位を取り続けた。まったく勉強はしていなかったけれど。中学生くらいまでなら勉強しなくても、なんなら授業聞かなくてもできた。本を読んでいたほうが有意義だと思って読んでいたら怒られて晒し者にされたこともあったけど全然反省していなかった。都合の悪い生徒だったと思う。

小5から漢検を受け始めていて、中学2年生で準1級に合格した。その頃から漢字に興味を持って、色々新書を読んだりしていた。

同じく中2ごろから立ちくらみに悩まされるようになって、地元の小児科に通っていた。血圧が異常に低かったので、昇圧剤を飲んでいた。たぶん起立性調節障害のはじまりだったのだろう。授業中に胃が痛くなったり体育の授業前に吐き気に襲われたりしていて、よく保健室のお世話になるようになった。

友人がハブられていた。別の友人がいじめっ子気質で、よくいろんな人の悪口を言っていた(わたしも言われていたと思う)。いたずら感覚で自転車の鍵を盗んで遊んでいたのを、貸してと言って貰ってこっそり返したりしていた。ハブられていた友人とは話すこともなくなってしまった。寄り添う勇気がなかった。人間関係ではとても不器用な中学生だった。今もそうだけど。

3年生の受験シーズンになってからは、わたしは吹奏楽部のマーチングと定期演奏会の豪華さで有名な中高一貫校に行きたくて、推薦入試の面接の練習をした。高知はある私立高校がいちばん頭が良くてそこを目指せと言われたけれど、同じ私学なら偏差値では劣るけれども吹奏楽が盛んなそちらが良いとわがままを言った。

入試は4、5人の集団面接だった。あとからわかったことだが、その高校を受ける編入生は年々減っていて売り手市場みたいなもので、わたしたちはほとんど全員が受かっていた。茶番じゃねえか。

家族関係では、中1のときにわたしには姉がいるということを知った。いつも遊んでくれるお姉さんが種違いの実の姉だということに驚いた。その頃から母親に不信感を抱きはじめた。どうして教えてくれなかったのだろうと。母には母のタイミングがあったのだと思うのだけど、それでも突然すぎた。母親も不器用なのかもしれない、わたしたちは似ているのかもしれないと今なら思えるけれど。子供は大人が思っているほど子供じゃない。

 

中学生時代はそんな感じ。次は高校に入ってからかな。続けるかどうかはわからない。

夜職をいったん辞めた話

7月末で退店する予定だったバイト先を、8月29日を以て辞めた。

この店はわたしには合わなかったなあ、という気持ちが正直強い。

向こうはとても信頼を置いてくれていたけれど、わたしはママに対して何の信頼もできなかった。

なので辞めて本当はひゃっほーという気分のはずなのだけれど、全然ひゃっほーにならない。うつ病たるものそんなことでは快復しない。

お金が厳しい。飲みゲームがつらかった。客のイジりを受け流すのがしんどかった。セクハラを是とする雰囲気が気持ち悪かった。ママに肥えたと言われたのがショックだった。たくさんの粗相をした。お金の精算のためにもう一度行かなければならない。

すべてが気持ち悪い記憶として残った。気持ち悪い。あのビルには二度と行かない。

吐きそうになりながら行っていたことも、ずっと流れていたヒルクライムが嫌いになったことも、動悸が止まらなくて早退したことも、すべて悪い思い出になった。

はー気持ち悪かった。気持ち悪かったし全然すっきりしない。まだ気持ち悪い。

どう考えても飲みゲーム(芸能人るんるんとか)は不利だったしあの客たちはわたしには合わなかったしショットは不味かった。最後までなんにも慣れなかった。

次の店はもっと良いところだといい。それが今の願望である。

あとは、6月から始めたイチナナの配信でもう少し稼げるようになればいいなとも思う。どうなんだろう。どれだけ貰えるかわからないけれど9月はそちらを頑張ってみる。

スキンケアの話

某ウイルスでコスメが買えないのでコスメの話しまーす!

こちらではスキンケアアイテムをご紹介します。

 

まず、わたしの肌質から。わたしは小さい頃からアトピー体質で合わないものが多く、アルコールが特にダメ。すぐピリピリして赤くなってしまう。あと常に乾燥しているので唇とかバッキバキ。(でも手汗はすごい)(関係ない)

 

それを踏まえて、わたしのスキンケア一式がこちら。


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左から

【ポイントクレンジング】

・ビフェスタ アイメイクアップリムーバー:濃ゆ濃ゆのアイメイクやティントリップを落とすのに使っている。よく落ちるけど口に入るとちょっと不味い。

キャンメイク クイックラッシュカーラーリムーバー:ガチガチに上げて固めたマスカラを落とすのに使っている。よく馴染ませればするっと落ちてくれる。

 

【クレンジング】

・ビフェスタ クレンジングローション ブライトアップ:水クレンジングが欲しくて買った。f:id:mmktkaij:20200425163807j:image

これだね。コットンに含ませて拭き取るやつ。えらいスピードでポンプから飛び出て来るので100均の容器に詰め替えた。

 

洗顔

・松山油脂 肌をうるおす保湿洗顔フォーム:フワフワの泡が作りたくて買ってみたやつ。ここだけの話、息ができないのがしんどくて洗顔はほとんど水洗顔か拭き取りしかしてないです。

 

【拭き取り化粧水】

・ネイチャーコンク 薬用クリアローション:アルコールフリーの拭き取り化粧水。めちゃくちゃ助けられてる。メイク落とし後にしんどくて化粧水もつけられないときにこれでちゃちゃっと拭くだけで済ませられる。

 

【化粧水】

・アベンヌウォーター:お風呂から出たすぐ後にぷしゅーっとやる用。ただの水って感じ。

・ビーソフテンローション(外用薬):顔に湿疹ができたときに皮膚科でもらった。肌荒れで顔が何も受け付けないときに使う。

・キュレル 化粧水Ⅲとてもしっとり:セラミド配合の化粧水が欲しくて買った。いろいろフリーなので肌への刺激がなくて使いやすい。

 

【乳液】

・ミノン モイストチャージミルク:とりあえずアルコールフリーならなんでもいいやと思って買った。乳液まで気力と体力が続くことがなくて正直あんまり使えてない。

 

 

こんな感じですね! 夏は気が向いたらパックするけど今は寒いからしてない。

 

ついでに、【欲しいスキンケア】!

・ビオデルマ サンシビオ エイチツーオーD

ソンバーユ(で洗顔の代わりになるらしいと聞いたのでやってみたい)

・無印 導入化粧液

・エトヴォス モイスチャライジングセラム

を取り入れてみたい。騒ぎが落ち着いたら買いに行きたいな。

夜職を始めてみての話

2月頃からバイトを始めた。

場末のスナック。理由はかんたん、生活にはお金がかかるから。夜を選んだのは、昼職をするにはわたしは夜型すぎるし、最低賃金で何時間も働く体力もないから。今のスナックを選んだのは、単純にこの店が家からいちばん近くて時給も高かったから。(関係ないけど「場末」ってほぼ「スナック」の枕詞だよね)

 

比較的良い条件のところに雇ってもらえたと思う。

ママが雇う側として常識人であるという面。女の子をきちんとお客さんから守ってくれること、女の子への説明や教育がきちんとしていること、働いていて主にこのふたつに敬意を抱いた。

また、お客さんがほとんどママの知り合いであること。変な人は来ないし、来てもすぐ帰っていくことが多い。連絡先を交換するのもママを通してなので比較的「安全」なお客さんだ。

それに、ボーイさんがいる。いつもシフトに入っているわけではないけれど、働く女の子のサポートをしてくれる。

 

……と書き連ねて。まあ、良い店だなと思う。「この業界においては」。

 

なんという大変さなんだろうか。舐めていたわけじゃないけれど覚悟が足りなかった。正直そう思っている。

ママは怖すぎる。不満もなくはないけどまあ第一に怖い。何が怖いって中途半端に私情を話さなければいけないことが怖い。ビジネスライクな関係でいられない。ママはこちらにガンガン個人情報を聞いてくるけれど、こちらからどこまで聞いてもいいのかもわからないし聞けもしない。中途半端に上司なので。

お客さんは厄介である。これも中途半端にママしか知らない情報が多いから、誰が何を聞かれたくないのかなどがわからなくて話題を振るのに困る。あとで、あれは言ってはいけなかったよと怒られることもある。会話のキャッチボールが失敗したときの気まずさをなんとかしてほしい。なんとか話させて盛り上げていくわたしたちの仕事にまったく協力的でないお客さんも多々いる。ママに伝えないといけないのに名前すら教えてくれない人だとか。

飲みの席はとてもしんどい。ゲームをしたりするんだけれど、わたしがそういうゲームに慣れていなさすぎるというのと、負けたら飲まなければいけないというプレッシャーに押しつぶされそうになる。テキーラや焼酎ショットはほんっっとうに不味い。

それからもうひとつ。

わたしが夜の仕事をしだしたのはこの店が初めてだ。だから、もしかするともっと良い店があるのかもしれない。けど、いろんなほかの夜職の方の話を聞いていても感じたこと。

わたしたちは「消費」される「商品」として生きなければならないということ。

スナック等の水商売では、働いている女はお客さん(≒男性)の相手をしなければならない。お店にとって当たり前のことだが、お客様は神様であるので、お客様の機嫌を損ねてはいけない。どんな話題もキャッチして上手に投げ返さなければならない。それがたとえ男女のゲスい話であっても。たとえ、自分を題材にした下ネタであっても。うまくこねくり回して変化球を投げ返すことはできても、よけることはそこでは許されない。

この世界でうまくやっていける人たちは、それが器用にできる。

その一連のキャッチボールを、「考えて」やっているうちは、まだわたしは仲間だと思う。女の子目線として共感できる。

わたしが恐怖に似た感情を覚えたのは、キャッチボールを「考えずに」やっている女の子・女の人がいる、ということにである。

頭を働かせずとも、男の人に気に入られる答えを返すことができる。お金が貰えるからではなく、好きでお客さんと会話している。お金ではない部分でお客さんとの同伴を好んでいる。

お客さんとお客さん以上の関係を持つ。そのことを自慢げに他の人に話す。

 

知ったとき、わたしはかなり衝撃を受けた。世間知らずだと思われるかもしれないが、わたしはずっと、夜職の女性はみんなお金を稼ぐために夜の世界で働いていると思っていたからだ。

要するに、男性に消費されることをよしとする考えを持っている女の人がこの世界にはたくさん存在するのだ。

そんなことも知らずに生きてきたのだなと思った。わたしは今までの自分がほんとうにこことは違う世界にいたことを知った。

だって、びっくりしないだろうか。一緒に働いている女の子が、店のママが、「同伴はいいよね!」「店で(お客さんに)認められるって嬉しいよね!」って言うんだぜ。嬉しい、とかいう感情がこの仕事をしている上で出てくるの???というお気持ちである。

失礼取り乱しました。でもそのくらいの衝撃だった。店に来る男の人たちはみんなこういった職業や女という性を下に見ている人ばかりだし、それを喜んで受け入れる女なんていねえよと思っていたから。

この世界に長くいるうちに考えに染まってしまったのかもしれない。もとからそういった環境にいたのかもしれない。その人たちは悪くない。

でも、わたしは、そうなりたくはないと思った。女の子を消費したいだけの男に喜んで消費される女にはなりたくない。お客さんだから、お金をもらえるからいい顔をしているのであって、無償で性を提供するようなことは絶対にしたくない。そのあたりをわかってくれているお客さんもたまに居れども、そういう人さえ「このあたりまではいいだろう」という気持ちが透けて見えたりして嫌になる。

 

でもいちばん嫌なのは、こんな考えを持っていて内心何を思っていてどれだけ気持ち悪い思いをしようとも、それを隠して商売をする必要があるここ、この世界にしか職場がないことである。

需要があるから供給も発生してお金がもらえる。それはわかっている。需要がなくなればわたしたちは職を失う。それもわかっている。

とても悔しいと感じる。夜の仕事が他にもあればいいのに。場末には消費することしかしない客の来るスナックだけがある。

最愛だった推しに最後に会いに行った話

きっとわからない単語がたくさん出てくるし独りよがりな文章で読みづらいと思いますが、わたしが忘れないためだけの備忘録として書いているので許してください。

 

 

2020年1月28日。わたしは福岡に降り立った。ギルドールラスト定期公演を見るために。でっかいでっかいスーツケースを引っ張って行ったので途中転んだりしてめちゃめちゃ大変だったけどそれは置いておいて。

初めての、そして最後の定期公演。最初で最後のギルドで聞く入場曲。「せーの!」が初めて言えたこと。これまた初めて見る真っ赤&真紫の衣装。

たくさん歌を聴いた。Twitterで募集していたリクエスト、わたしがリクエストしたアイドル♡magicとミライクエストを両方やってくれたことが嬉しかった。

ソロが聴けたことも嬉しかった。あいちゅんさんのソロの動画は内緒で(ここに書いている時点で内緒ではないが)すぐに親友に送った。らむりんさんのソロの動画は誰とも共有してない。わたしだけの宝物にしている。

最後ということで花束を渡させていただいた。しどろもどろながら「最後から2回目の最高のイエッタイガーでした」って言った。言えたはず。

ロリータで行ったので精一杯のかわいいポーズで撮ったチェキ。「生誕やん?」って言われた。

物販では「あなたがここにいることが不思議」と言われた。それはそう大阪から来て6泊する奴とかどんな酔狂かって話。

こちらこそありがとうございましたのときに3ショットチェキかと思って間違えてプレゼントを渡しに行ってしまって申し訳なかった。

3ショットチェキはプレゼントを持ってもらって撮ってもらった。落書きのときに開けてくれた。お揃いのメンバーカラーのハンカチとアクセサリーケースとサコッシュ、あいちゅんさんにはラブリーな壁掛けハンガー、らむりんさんにはゴシックな蝶のアクセサリー。

バータイムではらむりんさんともヲタクさんともたくさんお話ができた。卒ライのために作った横断幕が届いたという報告もいただけた。らむりんさんとのお話の内容はふたりだけの大事な思い出。

帰りにド派手に転んで膝から流血した。これもまた思い出。ちなみにまだかさぶた取れてないし内出血もやばい。

 

 

1月29日。この日は膝が痛かったので1日休んで夜ギルドに行った。なんとなくらむりんさんがいる気がしたんだけど本当にいた。ひなさんとあいちゅんさんと3人でくじの準備してた。びっくりした。この日は卒ライ当日の3ショチェキの受付日だったのでその事務手続きもしてた。初めてすっぴん見られた。ひぇえ。

それが終わったあと、ちょうどもみじちゃんもいたので、でんぱの夢眠ねむさん卒業曲である絢爛マイユースをらむりんさんに向けて歌った。泣いてくれた。おこ!って言われた。かわいい。

1時ごろギルドログアウト。

 

 

1月30日。この日は完全にオフ日。キャナルシティ行っただけ。それもプルームテックショップ行くためだけに。滞在時間10分。

 

 

1月31日。午後3時くらいにとあるレストランに行った。お喋りしていたらいつの間にか閉店時間になるほどオーナーさんと仲良くなれた。

少しだけジャンカラで時間を潰して、20時ごろギルドに行った。またらむりんさんいた。これは以心伝心と言っても過言ではない(完全に過言)

いっぱい喋ってたら初めてラストの時間になった。こんなに喋れていいのかなってくらいらむりんさんとお話ができて本当に嬉しかった。

 

 

2月1日。少し用があってまた先日のレストランに行って、ホテルに帰った。

夜は卒ライのメッセージアルバム作りお手伝いをしに行った。片棒を担げて(?)実に光栄な経験だったありがとうございました。

 

 

2月2日。迎えた卒ライ当日。開場の30分前にライブ会場に着いた。親友とイロチ買いしたワンピースで参戦。

1部は女限エリアにいた。他のアイドルさんのライブも聴けてよかった。個人的にはNEO学院さんがすきだった。めちゃめちゃ時間が速く過ぎてあっという間に終わった。物販2回行けたのでよかった。

2部が始まる前には集合写真に参加させていただいたり、自分が作った横断幕がメチャクチャでかでかと飾られてて歓喜したり、グッズTシャツを着たり、一番くじでランチェキ×2、サインポスター、あいちゅんさん私物、らむりんさん私物を当てたりした。あいちゅんさん私物は親友に捧げた。即壊れててわろた。らむりんさん私物、詳しく見てたらその場で泣き崩れてたと思うから帰ってから気づいてよかった。

2部、入りがはちゃめちゃにかっこよかった。この数週間でギルドワールドを歌えるようになったよね。曲のとき以外は終始ミライクエストが流れててわたしたちのミライクエスト!!って感じだった(語彙)。最前で見させていただいたんだけれど眩しくって眩しくって、直視できないほど眩しくて。物理的にも心理的にも。

VTRで号泣のはじまり。正直そこからは断片的にしか覚えてない。円盤売ってくれ。お願いします。買うし配るから。マジマジのマジで号泣しかしてなかった。

ライブはあっという間に終わってしまった。泣きすぎてアンコールまで記憶が飛んでる。いや覚えてるけど時系列が曖昧。ミライクエストだけは目に焼き付けようと思ってたから楽しかった覚えはある。はじまりから終わりまでキラキラがキラキラしててキラキラだった。

ファンからのプレゼントコーナーがあったりしてそれから。最後の曲が始まって、はい、終わり!して、あいちゅんさんが泣き崩れて、あぁやりきったんだなって、もうこのふたりのステージは見れないんだなって、そう思った。

最後の物販も2回行けて、ふたりとも目を合わせた瞬間ぼろぼろに泣いて(いやまあそれより前にもう泣いてたけど)、天音キラキラしてたか?って訊かれたから最高にキラキラしてたよって答えて、横断幕見たよって言ってもらえて。いつも「見つけてくれてありがとう」って言ってくれるから見つけられてよかった!って先回りして。最後までかわいかったし美しかったし神対応だった。

 

そのあとは、ヲタクさんの集合写真に入れていただいてご飯までご一緒させていただいて、ハチャメチャに楽しかった。バータイム行って途中からみんな眠くなったりで完全にフリータイムのカラオケの空気感だったけど。親友にプレゼントとお手紙を献上した。喜んでもらえて何よりである。

そして、卒業発表のときからずっと歌おうと画策していた、天使にふれたよ!をその親友と歌った。ふたりに向けて。それから、用意していた、メッセージとイラストを描いた色紙をあげた。かなり特急で仕上げたのでちゃんと満足した出来にはならなかったものだけど、ふたりに受け取ってもらえてよかった。

 

さいご、本当に最後、ふたりのミライクエストをもう一回聴いた。これ以上ないくらいに、ふたりの記憶に残るようにと、ひたすら沸いた。言いたいことはただ一つ、から始まる感謝mixギルドールver.、すごかった、最高だったとおもう。

こちらこそありがとうございました!で下げた頭がどうしても上がらなかった。寂しさが最高点に達してダメだった。

帰るときも名残惜しくてなかなか帰れなかったけれど、たくさんの人にご挨拶できたのでよかった、んじゃないかなと思う。

そのままホテルに帰っても起きてるつもりだったのに寝てしまって、翌朝新幹線に乗り遅れるギリギリだったのはまた別の話。

 

 

卒業したふたりには、ありがとう、しかない。そして最愛の推しである彼女には、大好きだよ、と。いつかまた、きっと会えると信じている。お揃いの指輪、ブレスレット。ほんとうに大好きでした、そしてこれからもずっと大好き。わたしをヲタクとしても人間としても成長させてくれた彼女たちとあの場所に最大級の感謝を。歌詞を借りるならば、どんなに遠くなって霞んだって忘れないよ。

さよならを抱いて、わたしはまだ生きる。


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生きがいの話

11月末、わたしのひとつのアイデンティティであったギターマンドリンクラブを引退した。

3年半通して基本的につらかったけれども、終わってみると部活に行く理由がなくなった空虚さもときどきよぎるようになった。

 

また、2月に、わたしの推しのアイドルちゃんが所属しているグループが解散し、同時にわたしの推しの子も卒業する。

出会って1年も経っていないけれど彼女はわたしの生活に深く根付いていて、わたしはいつの間にかその偶像ばかりに縋っていた。いつかいなくなることはわかっていたけれど、こんなに早くそのときが来るとは思っていなかった。

 

*

生きがい、というのは、居場所、という言葉と意味を同じくしていると思う。

ひとつのものばかりに頼っていると、それがなくなったとき、希望が消えてなんにもなくなってしまう。居場所を分散させていざというときのために踏んばる場所をたくさん作るみたいに、生きがいも繋いでいかなければならないのだ。細い糸をより合わせて綱にするように、たとえ1本の細い糸が切れてもぜんぶが切れてしまわないように。

いろんな人に生きがいはなんですか?あなたの生きる理由は?と訊いてみた。いろんな答えが返ってきた。恋人のため。周りの大事な人のため。人類史を見届けたいから。自分のため。アイドルのため。探す、ため。

 

わたしもそんな感じだった。けれど、部活、とある推し、という2本が太すぎて、他を太くするのを忘れていた。

もちろん恋人も糸のひとつだし、フォロワーさんもひとつだ。けれど。

 

わたしは人にものをプレゼントしたり何かしてあげたりすることが生きがいだった。

それが最大限にできるのが、前述の2本の糸、部活と推しだったのだ。すごく喜んでもらえるし、わたしの心も満たされた。

それが、2本ほぼ同時に切れてしまう。わたしのこの、自分のしたことで喜んでほしい、という思いの行き場が、なくなってしまう。

恋人に会うたびにプレゼントするのは重いかな、と思うし、部活に行かなくなることで誕生日プレゼントを渡す相手が急減した。

 

他の生きがいを、糸を見つける、もしくは太くすることが必要であることはわかっている。

2月3月にふたついっぺんに切れたら、わたしはこのままだとたぶん死んでしまうと思う。糸をより合わせてできた紐が、あまりにも細すぎて。

死ぬことで、わたしをリアルで知る人の気分も落ちるだろうし、フォロワーさんの生きるモチベーションも下がるだろうということは想像に難くない。悲しみは癒えるけど虚しさは癒えないということも知っているのだが。

頭ではわかっていても、気持ちというものはコントロールできないもので。

何か足掛けや、足枷でもいい、そんなものが見つかれば、死なずに済むと思うのだけれど。

今のところ、何もない。

何かを見つけなければならない。そのために今、たくさん動いている。見つけなきゃ。生き続けなきゃ。そう思っている。