人影のない冷い椅子は

だいたいわーってなって超読みにくい文を書いてます

クソな家庭家系で育った話

この↓話を読んでからこの記事は読んでもらったほうがわかりやすいかもしれない。

http://mmktkaij.hatenablog.com/entry/2018/01/11/143849

 

わたしはとあるコンビニのオーナー兼店長と副店長の間に生まれた。

そのコンビニはわたしが生まれる前から自転車操業で、周りにお金を借りてやっとわたしはふつうに育つことができた。

やがて店は破産し、わたしと母親は高知県へ引っ越すこととなった。

 

高知県には祖父母、叔母、いとこ、姉3人、姪っ子たちがいた。

その中でわたしはいちばん優秀な孫だった。いとこ兄妹3人は全員父親が違ってお互いに嫌いあっていたし、いちばん上の従兄はヤンキー。2番目と3番目は不登校。対してわたしは県内勉強ひと桁台の優等生。性格もおとなしく、大人と仲良くできる。姪っ子たちはいたってふつうに育っているけれど、祖父母からすれば曾孫で続柄が遠い。

わたしに期待が集中することは明白だった。ずっと、なんなら高知に引っ越す前からずっと、わたしだけに期待が集まっていたとわたしは感じていた。

その期待にわたしは応えた。(学力的には1位行けたけど)県内2位の高校に行ったし、特進クラスに入ったし、部活も頑張った。祖父母に対してもずっといい子でいた。反抗期もなかった。そのせいで、おそらくそのせいで、ずっと溜まってきた不安や不満が爆発して精神病になった。

病気のことも大学を休学したことも中退したことも、祖母に対しては秘密にするよう母親から言われている。期待を裏切ってしまうから。正確には期待を裏切ってしまう、と母親が思っているから。

 

祖父母は恨んではいない。親のことは少し恨んでいる。わたしが生まれる前から火の車だったならどうして子供を作ろうと、産もうと思ったのか。家計が厳しくなることがわからなかったはずはないだろう。
祖父母や知り合いにまでお金を出してもらってわたしを育てるのならわたしは生まれてこないほうが楽だった。
どうして何も決めていないわたしが、お金も期待も返さなきゃ返さなきゃと思いながら生きなければならないのかがわからない。もう2回も未遂をして死ねなかった。3回目も勇気が出なくて死ねなかった。死ねないのならせめて自由に生きたい。